富山県、福井県の街歩き
富山県
富山城跡 富山城 富山市郷土博物館 神通川舟橋
 富山城は室町時代に創設され、安土桃山時代に金沢城から富山城移り住んだ加賀藩ニ代藩主が高岡城に移った後、加賀藩三代藩主の次男利次が 富山藩として分家して富山城主となった。富山城は北の神通側と三面の掘に囲まれた別名「浮城」と呼ばれる平城であり、利長が創設したは「舟橋」は それまでの神通川の渡し船を 改めたもので日本一の長さ(430m)であった。富山城跡の富山城址公園に建設された天守閣はとなっていて 、 富山城の歴史資料を見る事が出来る。
 2015年3月14日に開通した北陸新幹線に直後の25日に富山から東京まで乗った。






富山城(富山市郷土博物館)


富山城の前で


富山城の前で


大手門の掘りに映る富山城と石垣


大手門の掘りに映る富山城と石垣


大手門への向かう


大手門を通る


大手門の石垣 


大手門の石垣の前で 


大手門の石垣の前で 


富山城天守閣から西方を望む


郷土博物館(富山城)を背に


佐藤記念美術館と和風庭園


富山薬問屋の古絵 (富山市郷土博物館)


神通川舟橋の古絵 (富山市郷土博物館)


神通川舟橋の広重の浮世絵


富山城址公園前の交差ビル


交差点ビルの北陸新幹線開通の看板

高岡山瑞龍寺(富山県高岡市) 瑞龍寺 前田利長
富山県高岡にある瑞龍寺は曹洞宗の寺院で加賀藩2代の前田利長の菩提寺である。山門、仏殿、法堂が国宝に指定されており、総門から見た山門からさらに仏殿を見る事ができる 黄金比の建築構造である。瑞龍寺から延びた参道八丁道(870m)の西端には前田利長の墓所がある。その途中に前田利長公の銅像がある。


瑞龍寺 への参道で


前田利長公銅像の前で


高岡山 瑞龍寺入口


瑞龍寺伽藍 配置図


瑞龍寺総門


中央は山門(国宝)、右は大庫裏(重要文化財) 、左は大茶堂(重要文化財)


山門に向かう


山門の前で


山門から仏殿を見る


山門の金剛力士像(左)


山門の金剛力士像(右)


仏殿に向かう


仏  殿


仏殿の迦釈迦如と文殊菩薩像


仏殿の釈迦如と文殊菩薩像








仏殿と法堂


法  堂


法堂の拝殿





大庫裏への通い廊下


仏殿と法堂の前で


七間浄頭(受付)の前で地面に線をを描く僧侶

越中八尾 (やつお) 八尾石畳の町並 おわら風の盆
 「おわら風の盆」で知られる富山市八尾(やつお)町の「日本の道百選」にもなっている石畳の町並を歩いた。八尾の風の盆を舞台にした 高橋治の小説「風の盆恋歌」の単行本を金沢駅の書店で買い、それを読んでこの八尾の街とおわら風の盆を知る機会を得た。
 


「日本の道百選」の石畳の町並
 



 



 



 


おわら風の盆踊りの絵 (おわらおもかげせんべいの包み紙より)

氷見と五箇山 おじいちゃんの傘寿祝い 1992年

五箇山相倉合掌造り集落:世界遺産 相倉合掌造り集落


↑富山県五箇山相倉合掌造り集落で1

  ↑富山県五箇山相倉合掌造り集落で2

富山県氷見海岸で泳ぐ




福井県
東 尋 坊:福井県三国町
東尋坊
東尋坊(とうじんぼう)は福井県坂井市三国町にあり、日本海に面する高さ25mの岩壁が続く崖。世界に3つしかない規模を持つ輝石安山岩の柱状節理で、 国の天然記念物及び名勝。石川県実家に近く、中学の遠足で何回か訪れている。

東尋坊の断崖の前で


東尋坊遊歩道の標識の前で(1988年)


東尋坊遊歩道の標識の前で(1988年)




雄島への橋の上で







雄島の柱状節理の前で (大阪のミノルタの同僚と)




越 前 岬 :福井県越前町  越前岬
 越前岬(えちぜんみさき)は福井県丹生郡越前町にあり、日本海に面する岬。岬の先端部は高さ130mもの断崖がそそり立ち奇岩が多い。 付近には越前水仙の群落がある。北陸高速道路が出来る前に大坂(堺市のミノルタに勤めていた)から石川家の実家に車で帰る折に敦賀から 越前海岸を回って帰る事が何度かあった。下の写真はにミノルタに入社した一年後(昭和45年)に買ったパブリカで三菱重工に勤めていた 山口氏を京都で拾い、敦賀、越前海岸を通って実家の美川に帰った時の50年前の懐かしい写真です。

国定公園「越前海岸」の看板前で(20年前)


越前海岸の看板の前で

呼鳥門の断崖の前で(20年前)


越前海岸の海との断崖を背にポーズ


越前岬の断崖の前で


越前岬の断崖の前で

石川県へ帰る途中で(50年前) 山口氏と


越前海岸で山口氏と新車パブリカの横で


国定公園「越前海岸」の看板前で山口氏と

越前岬水仙の群落













越前岬 大阪友の会のメンバーと










若狭高浜


若狭高浜海岸海水浴場全景


西三松の三畳紀地層で化石採集


若狭高浜の民宿の前で(ミノルタ社内旅行で)

永平寺:福井県永平寺町    永平寺
 永平寺(えいへいじ)は福井県吉田郡永平寺町にあり、曹洞宗の寺院で能登の総持寺と並ぶ日本曹洞の大本山である。 比叡山延暦寺の仏門に入り、後に中国の宋で仏法を学んだ道元が1244年に永平寺を開創した。
15年前に石川県の実家に帰省したおりに訪れており、2016年に勝山での金沢大学の同窓会が会った時に同窓生と訪れた。


永平寺全景図1


永平寺全景図2








唐門への階段


通用門の前で


通用門の前で同窓生と


山門








僧堂から仏殿へ


仏殿


法堂へ向う僧


法堂への階段


法堂


法堂の内部


承陽殿:道元の像を安置





白山神社 (平泉寺) 福井県勝山市平泉寺町 国史跡
平泉寺白山神社1 平泉寺白山神社2
福井県勝山市にある白山神社 (はくさんじんじゃ)は養老元年(717年)に泰澄により開かれた霊峰白山の越前側の登山口に開かれた山岳神社で、中世以降は比叡山延暦寺の勢力下に入り、 霊峰平泉寺となり、戦国時代の一向一揆の焼き討ちでで消滅した。江戸時代に再建されたが、明治時代に神仏分離令により白山 神社となった。
国の史跡に認定されている広大な旧境内を金沢大学精密工学科S43年卒の同窓生と福井市教育委員会の方の案内で2時間ばかり散策した。
本堂までの参道の苔のじゅうたんと樹齢千年以上の多数の杉と江戸時代に再築された古い建物が織り成すの景観は見事なものであった。
また数年前から広大な平泉寺坊院の跡を発掘中であり、発掘された住居や石畳の道の一部を見学した。
石川県白山市にある白山比め神社(しらやまひめじんじゃ)は全国にある2000社ある白山神社の総本社である。









白山神社入口の前で (大学同窓生と)








一の鳥居の下を抜けて広い境内へ





御神木:泰澄大師御手植の杉 (約千ニ百数十年前)





ニの鳥居から拝殿に向う


拝殿 (18595年造営) への道


拝 殿


拝殿 の前で説明を聞く





本殿 (1795年造営) への階段


本殿 (御前峰本社)にお参りする家族





坊院跡発掘調査地の説明看板





発掘された坊院住居と石畳道跡





樹齢1300年の大杉を囲んで








越前大野城 越前大野城1 越前大野城2
 2016年に勝山での金沢大学の同窓会が会った時に越前大野城を同窓生と訪れた。








































「越前一乗谷 」 「越前一乗谷城」
一乗谷城は、朝倉氏5代、約100年の居城であった。川を挟んで東側には朝倉館、西側に戦国時代の城下町の跡で400年以上もそっくり埋もれていた発掘された武家屋敷や町屋などの 町並が復原されていて、当時の城下町の姿を偲ぶことができる。愛知県豊川市から関ヶ原経由で石川県に帰省する途中に訪れた。



第5代義景が住んでいた朝倉館跡



復元された武家屋敷跡1


復元された武家屋敷跡2


 ホーム