葛飾船橋
「江戸川歩き」を完遂しました。
延べ7日で、利根川との分岐点から東京湾河口(江戸川放水路、旧江戸川)までです。
歩いた距離は総計約70kmです。HPにupしており、いれた写真は250枚です。
歩いて実感したのは、江戸川は江戸時代から今日まで、東京を中心とした関東地区に多大な恩恵を与えています。水源、治水、灌漑、物流、産業などです。
江戸時代に江戸湾に注いでいた利根川の流れを千葉県の銚子に変え、北海道、東北、関東圏の物資を銚子から江戸に川路で運ぶようにしました。房総半島は時々荒れ、運送が停滞したからです。
明治になり利根川と江戸川をつなぐ利根運河を作り、ルートを短縮しました。
江戸時代に北海道から大阪に物資を運ぶ、松前船(北前船)が日本海、瀬戸内海航路の運送ルートがありました。
北海道と江戸の太平洋-利根川-江戸川ルートに比べ、運送距離、運送時間は数倍も長い。そのために金沢、本吉(美川)などの松前船の寄港地ができ、船主が莫大なな富を得たのです。太平洋ルートは運送のスピードと安全を優先したものです。
それが江戸時代が300年も続いたの要因の一つでしょう。
また、堤防を歩いてみて、江戸川と周りの河川の相互の治水対策、給水対策は緻密で、先をみこした完璧な物だと分かりました、川の分流、合流、分岐、運河、防水水門、地下ダム、農業給水路など。
江戸時代の名残の渡し跡が随所にありました。明治になり、橋ができてから無くなりましたが。
葛飾柴又の矢切の渡しは、今も観光で残っています。乗りました。映画寅さんの「男はつらいよ」に良く出てきます。
小江戸という、今は観光地の古い街並みがあります。埼玉県の川越、千葉県の佐原、栃木県の栃木です。それらの街は江戸と川(運河)でつながっており、物資の運搬をしていました。これらの街は私のHPにあります。