俳 句 Notes
 俳句を一年前から初めた。俳句は5.7.5の17文字で文を作るものだ。俳句は季語というのがあり、その季語を入れて作るのが常である。
  写真はその風景を瞬時に映像化するしたもので、見たとおりしか残せない。過去、未来の時間を越えた世界や、音・臭・触覚などの五感による世界や、思考、想いなどの空想の世界は映像に残せず、 文字よる記述に頼るしかない。いわゆる文学の世界であり、俳句は最も短い文学である、
   以下は、私が作成した(作成中の)俳句メモです。旅先や歩いている時の風情や、ベランダから見た風景や、イベント、出来事などの想いを題材にしている。

自 作 の 俳 句 メ モ
二合半領用水路 遊歩道を歩いて想う
・古き名だ 二郷半領 江戸の街
・古きから 水を運ぶや 稲田まで
・用水路 自然の命 つなぐ水
・秋深かし 水の流れは  音もなく
・散りざくら 集めて流る 水静か

・遊歩道 鳥のさえずり 春近し
・遊歩道 足を止めるや  鳥の声
・遊歩道 聞き耳立てて 散歩かな
・用水路 跳ねる音 鯉の群れ
・水路壁 蛇穴を出づ とぐろまく
・鴨親子 渡りの前の 連れ泳ぎ
・用水路 渡りをせずか 鴨ニ匹

・橋の淵 形を変えた たんぽぽや
・遊歩道 桜の後に 赤いはな
第二大場川の横を歩いて想う
・釣り人が 頭を垂れる 静かなり
・まだ寒い 桜は開花 フナ釣れぬ
・釣り人と 桜を横目に 川歩く
・釣り人の 心もなごむ 桜見て
・花見人 釣りも楽しむ マスク顔

・さくら散る 川の流れは 穏やかだ
・散りざくら 浮かぶも嬉し 用水路

・春の陽に 亀は密集 甲羅ぼし
・春の川 甲羅干したり 密集で

・華麗なる カワセミ見たる つかの間に
・翡翠(かわせみ)や ブルーの姿 目に残る
江戸川の堤防を歩いて想う
・江戸に向け 江戸川運ぶ 北のさち
・江戸川よ 都心の治水 引き受けて
・利根の水 関宿を経て 江戸川へ

・風を切る 矢切の渡し 波を立て
・後を追い 江戸川歩く 寅さんの
・今は橋 渡しの跡は 要所なり

・利根運河 明治の力  今はなし
・利根運河 出ずる川越し 白き富士

・雪の富士 江戸川の西 25里なり
・向い風 江戸川歩き ままならず  

ベランダから富士山と土星と木星を見て
・冬の富士 上で光るは 二つ星
・冬の富士 上に惑星 はべらして
・向かい合う 土星・木星 冬の空

・ニ惑星 接近したる 冬の空
ベランダからミニトマト、富士山を見て
・ミニトマト 天から見下ろす 白き富士
・冬の富士 高さを競う ミニトマト
・ミニトマト 真白き富士を 見て伸びる
・ベランダで 富士を相見る ミニトマト
・名残惜し 立春の日の ミニトマト
ベランダからの雪景色を見て
・初冠雪 富士の山頂 白き富士
・西の空 初雪抱く 富士の嶺

・ミニトマト 初雪の日も まだ赤い
・ミニトマト 雪の夜明けに 冷え冷えと
     
ベランダから登る朝日を見て
・日が登る ベランダからの 秋の空
・日が上がる ベランダ越しの 燃える秋
・秋の朝 ベランダ越しに 日の出見て

・秋の空 紅で染まる 日の出かな
ベランダからスカイツリーを見て
・黄砂舞う スカイツリーは 幻か
・黄砂飛ぶ 支那よりはるか 波越えて
・黄砂見て 中国の旅 懐かしき
三郷団地の桜を見て想う
・夕暮れの さくら背後に わが住まい
・太陽と さくらに並ぶ わが団地
・遊歩道 桜を踏んで 買い物に
・散り桜 白い絨毯 踏みしめて

野鳥の親子を見て想う
・子供呼ぶ 父キジの声 カンカンと
・鳴く声で 居場所を知るや キジ親子
・冬の池 餌を探すは キジ親子
・雄キジの 姿凛々しい 冬の池
・冬の池 餌を探すは キジ親子
・雄キジの 姿凛々しい 冬の池

・子の渡り カルガモの親 ハラハラと
・カルガモの 親子は歩く 隊列で
・親鴨の 後を泳ぐも 道草し
新型コロナウイルスに想う
・新コロナ わが人生の 節目なり
・コロナ禍で 変わりし仕草 常となり
・身についた スティホームは テレビずけ
・悪くなし テレワークも 板につき

・新コロナ オリンピックと 共存し

・オミクロン 姿を変えて 生き残る

・あご髭を 伸ばして待つは オフコロナ
・これいいわ マスクで隠す コロナ髭
・時過ぎて コロナ終わりし まだマスク
東京オリンピックの開催を想う
・オリンピア 聖火をつなぐ 東京に
・聖火リレー 五輪の姿 幻か
・スタジアム 聖火は彼方 お台場に
・火の陽 再び見れし 半世紀

・無観客 歴史に残る 五輪かな
・相寄りて 皇居走る パラランナ
・思い出す 現地で観れた 五輪かな

・聖火消ゆ 夢かまことか 夏の夜
・コロナ禍で 五輪も終り 歴史的
・夏は過ぎ 五輪の騒ぎ いずこにか

宮澤賢治の作品、花巻を想う
・読むほどに 賢治の世界 不可解だ
・奥深い 賢治の思い 知り得たる
・涌井出る 賢治の知識 驚きだ
・手帳メモ アメニモマケズ 世に出ずる

・花巻で 賢治の世界 知り得たる
・イギリスの 地層と似たり 最上川
・発掘の 賢治の姿 我が身なり

・同窓の 友より学ぶ 賢治かな
大谷翔平の二刀流を想う
・二刀流 伝説つくる オオタニだ
・リアルだよ 百年ぶりの 二刀流
・春のそら コロナも飛ばす 弾丸球
      
兼六園の雪吊りと紅葉を想う
・雪吊りと 池でコラボ 紅葉(もみじ)かな
・雪吊りの 隣りは紅葉 めずらしき
・逆さ吊り 霞が池に 紅葉も

飼育中のメダカの親子を見て
・三代目 命をつなぐ メダカの子
・楊貴妃と 連れ添い泳ぐ 白メダカ
・黒い目が 不気味に動く メダカの子
・メダカの子 大海に出て のびのびと
原爆投下の日を想う
・きのこ雲 世に出し時 我同じ
・吾が齢を 思い出させる 投下の日
化石が出る金沢犀川を想う
・大桑(おんま)層 雪解けの川 化石出す
・壁崩れ ホクリクホタテ 雪解けで
・掘り出した 土から化石 春の川

松尾芭蕉(奥の細道)の俳句
松尾芭蕉 、おくのほそ道

松尾芭蕉の奥の細道概要
 元禄2年(1689)3月27日〜9月6日 芭蕉46歳
 元禄2年(1689)3月27日、芭蕉は門人曾良を伴い江戸を発ち、奥羽・北陸の各地をめぐり、8月20日過ぎに大垣へ着くまでの、距離約六百里(約2,400キロ)、日数約150日にも及ぶ長旅である。旅の目的は、歌人能因や西行の足跡を訪ね、歌枕や名所旧跡を探り、古人の詩心に触れようとした。芭蕉は各地を旅するなかで、永遠に変化しないものごとの本質「不易」と、ひと時も停滞せず変化し続ける「流行」があることを体験し、この両面から俳諧の本質をとらえようとする「不易流行」説を形成していく。また旅をした土地の俳人たちとの交流は、その後の蕉門形成や、紀行文『おくのほそ道』に大きな影響をもたらす。  『おくのほそ道』は随行の曾良が旅の事実を書き留めた『曾良旅日記』と相違があり、芭蕉は文芸作品として執筆している。和漢混交文の格調高い文章でまとめられ、芭蕉の紀行文としては最も長編で、かつ質的にも生涯の総決算的な意義をもつ。

       


松尾芭蕉の俳句 (奥の細道)
       

       

       

       


松尾芭蕉の東北の句
       




       

       

       

       

       

       


松尾芭蕉の北陸の句
・塚も動け 我泣声は 秋の風(金沢)
・秋涼し 手毎に向けや 瓜茄子(金沢)
・あかあかと 日は難面も あきの風(金沢)
・しほらしき 名や小松吹 萩すすき(金沢)
・むざんやな 甲の下の きりぎりす(篠原古戦場跡)
・石山の 石より白し 秋の風(那谷寺)
・山中や 菊はたを らぬ湯の匂(山中)
・今日より や書付消さん 笠の露
・終宵 秋風聞や うらの山
・庭掃て 出ばや寺に 散柳

松尾芭蕉 篠原古戦場跡の歌碑
 「むざんやな 兜の舌の きりぎりす」




松尾芭蕉 那谷寺の歌碑
  「石山の 石より白し 秋の風」


 

松尾芭蕉のその他の俳句
       

       


加賀の千代女の俳句



       

       


加賀の千代女の松任市の句碑




加賀の千代の歌碑
  「朝顔や つるべとられて もらひ水」




千代女の里俳句館 (HPへ)


加賀の千代女の俳句館

俳句 「河港の町」  : Nさん作



 Nさんは私と美川小学校の同窓で、幼少時代を過ごした石川県白山市美川地区を題材にした連作20句「河港の町」で昨年の犀星俳文学賞受賞を受賞した。

俳句 「残 響」  : Nさん作
石川県俳文学協会設立75周年記念 合同句集




季語「雪吊り」の俳句 (Nさん選)
・雪吊の はじめの縄を 飛ばしけり(大石悦子)
・雪吊りや 吊って三日の 縄匂う(加藤耕子)
・雪吊りの 棒ゆるぎなき 水の中(沢木欣一)
・風に鳴る ほど雪吊の 弦張つて(中村青路)
・雪吊の 縄雪空を 引き絞る(藤木倶子)
・雪吊に 白山颯と かがやけり(阿波野青畝)

沖縄の俳句
・負け牛の よだれの綱よ 春の泥
・白百合や 名護七曲 海八景
・幾日も へちま味噌で 島の夏
・月さやか 酔い土産せん 真池まで

琉球列島ものがたりの挿俳句より









「俳句」と「短歌」「川柳」の違い  : 八塚秀美さん
「俳句」と「短歌」の違いについて
どちらも詩歌の形式です。万葉の昔から人々が詠んできた詩歌ですが、作者が詠みたい内容によって、選びとる表現形式の違いです。 短歌と俳句のもっとも明確な違いは音の数です。短歌が五・七・五・七・七の31音で詠まれるのに対し、俳句は五・七・五の17音です。自由律俳句など、このルールからはずれるものもありますが、原則としてこのような認識でよいかと思います。
「俳句」と「川柳」の違いについて
研究者によって多少立場が異なりますが、単純化して申し上げるなら、作り手の意識が「季節や自然」と「人間」のどちらに向いているか、でしょうか。
俳句は、季語そのものにじっくりと向き合って詠んだり、作り手の感情を季語に託したりする文芸です。あくまでも意識は季語のほうに向いているのが俳句というわけです。
一方の川柳は、興味の対象が「人間」。季語には意識をおかずに、世間のことや身の回りの人を面白く描写していく、 第一生命保険が実施している「サラリーマン川柳」などをイメージしてもらえば分かりやすいですね。
川柳として詠まれたものでも、良質な俳句としても成立する作品がたくさんありますので、明確な境界を設けるのは難しいですが、おおよそこのような違いになろうかと思います。

俳句の作り方
俳句は写生
 俳句は物や風景をよく観察して、そのありさまを絵のように17文字の中に写し取る文芸だとも言われます。

 このような俳句の作り方を「写生」と呼びます。
 写生の手法を確立させたのは正岡子規ですが、松尾芭蕉はすでにその先駆けとも言える作品を多数残しております。
 例えば、こちらの名句です。
「五月雨をあつめて早し最上川」
松尾芭蕉
 意味は、「五月雨(梅雨の雨)を流域すべてで飲み込んで増水した最上川の流れは、なんとも早くすさまじいことよ」といったものです。
 作者の見たまま、感じたままの光景をそのまま表現しています。

 しかし、ただ、「増水した最上川の流れがスゴイ」と詠むのではなく、「五月雨をあつめて」という表現を選んだこと、その着眼点から、作者の心の動きや性格が透けて見えます。
 芭蕉の弟子である服部土芳はその著書『三冊子』の中で

「見るにつけ、聞くにつけ、作者の感じるままを句に作るところは、すなわち俳諧の誠である」
三冊子・服部土芳
 と、芭蕉の教えを残しています。
 見たままを作者の言葉で表現するという、正岡子規の写生手法の先駆けとも言える教えです。
 俳人、後藤比奈夫は、その著書『今日の俳句入門』で、

「客観写生」とは心で作って心を消すこと
今日の俳句入門・後藤比奈夫
と述べています。
   難しいですが、要するに、作意が透けて見えてはいけない、自然のありままをもっとも適した言葉で表現するのが良い、そのために作意の痕跡を消せ、ということです。

俳句の題材となった風景
二合半用水路と遊歩道


二合半領用水路横の遊歩道


二合半領用水路に浮かぶ散り桜

第二大場川の桜並木と釣り人


川岸で桜並木と釣りを見る人々


春の陽を浴びて甲羅干している亀


綺麗な色の翡翠(カワセミ)を見る

二合半領用水路横の遊歩道 江戸川近傍


江戸時代の幸房の渡し跡


葛飾柴又の水利使用標識の土手


矢切の渡し舟で江戸川を渡る

富士山と木星と土星


夕焼けの富士山の上空の接近した木星と土星


最接近の木星(左)と木星(右)


ミニトマトと富士山


ミニトマト越しの富士山

ベランダからの雪景色


  初雪の富士山頂


初雪まで赤いミニトマト


初雪まで赤いミニトマト

ベランダから登る朝日を見て


  東側のベランダから見た朝日 2019.9.28


朝日で映える米ナスのツボミ

ベランダから見たスカイツリーと都心







三郷団地の桜


三郷団地の商店街への道の満開の桜


三郷団地の自宅のある高層マンションと満開の桜

野鳥の親子

吉川調整池で餌をついばむキジの親子>


三郷団地ととららぽーとの道を横断するカルガモの親子


第二大場川を泳ぐカルガモの親子

東京オリンピック無観客で開催

広島県 (NHKテレビより)


開会式直前のオリンピックスタジアム全景 (航空写真)


パラリンピック マラソン:皇居前で

宮澤賢治が化石を発掘したイギリス海岸


イギリスのドーバーの海岸に似て北上川の川岸の断崖


宮澤賢治が化石を発掘した地層が露出したイギリス海岸

大谷翔平のMLB二刀流


大谷の投球フォーム


大谷の打撃フォーム


大谷のホームランがコニカミノルタの看板を越える

金沢兼六園 霞が池に映る紅葉と逆さ雪吊り




飼育中のメダカの成長を見て


赤いメダカ(楊貴妃)と白メダカの親


黒い目が見えるメダカの卵


生まれたメダカの子供

原爆投下の日の式典


広島平和都市記念慰霊碑から原爆ドームを見る

化石が出る金沢犀川


雪解けの濁流水が流れる犀川の化石地層



露出したホクリクホタテの化石

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