金沢犀川の地層と化石

 飼い主が化石採集を始めたのは、金沢の「夕日寺化石広場」で 初めて化石を採集した時からです。 石川県の金沢市から富山県にかけての140万年前から80万年前の海底に堆積した地層を大桑(おんま)層 と呼び、多くの貝化石を産出します。金沢市の犀川の露頭で貝類、ウニ、魚の耳石などが採集できます。





















犀川・大桑層全景

犀川化石密集層

露出したホクリクホタテ


ホクリクホタテとヨコヤマホタテ


貝類の化石


魚、ニウニ、サンゴの化石

ホクリクホタテ
 絶滅種で大きさは160mm




ヨコヤマホタテ




サイシュウキリガイダマシの密集




ムカシブンブク






犀川大桑層で採集した貝化石

犀川で採集した化石と採取場所

<写真10>
ムカシブンブク


<写真12>
オオウヨウラクガイ


<写真14>
ホソスジクロマルフミガイ


   
<写真16>
マクラガ


<写真18>
ハスノカシパン


<写真20>
サンンショウウニ


<写真22>
ヨコヤマホタテ(絶滅種)


<写真24>
サイシュウキリカエダマシ(絶滅種)


<写真11>

ヒダリマキイグチガイ




<写真13>
ハナツメタガイ




<写真15>
サラガイ




<写真17>
オンマサルボウガイ




<写真19>
ホクリクホタテ(絶滅種)




<写真21>
エゾタマキガイ




<写真23>
ツノガイ


犀川





















犀川

<写真25>
マスダヒタチオビガイ


<写真26>
エゾヒバリガイ


<写真27>
オニフジツボ


<写真28>
サンゴ


<写真29>
魚の骨 (脊椎骨)


<写真30>
魚の骨 (顎骨?)


<写真31>
キララガイ


<写真32>
オンマイシカゲガイ (絶滅種)


大桑層との出会い(2007年)

 瑞浪市化石博物館友の会の機関誌に投稿したもので、化石採集を始めたきっかけとなり、その後の化石採集のベースとなった金沢犀川の大桑(おんま)層について書いています。

 私が初めて化石を地層から掘出したのは今から13年前の事です。その場所は石川県金沢市の夕日寺町の「化石の広場という写真1のような所です。
当時家族が金沢にいて遠足に行った子供から聞いて興味本意でその場所へ行き、間に合わせの道具で化石層を崩しますが、小さな貝はすぐ壊れて掘りだせず諦めかけていた時、 貝の一部が露出し、期待を持って時間をかけながら掘出したのが写真2のような15cm程の大きな貝でした。その時に小学生を引率して来ていた先生と思われる方が、 これはホタテ貝で絶滅した種類の物であると化石の写真を載せた資料をみせながら教えてくれました。さらにもっと沢山採れる所が近くにあることも教えてくれまた。 それは犀川の上流で大桑町という所でした。化石の広場の入り口には写真3のような看板があり、この地層の説明と化石のサンプルも展示されており現在でも子供達の格好の 化石の学習場所となっています。

 私は金沢に近い手取川河口の美川町(現白山市)の生まれで、学生時代は金沢に通っていました。その当時は化石については全く未知で、その後20年数年が経過し 東京の国立科学博物館で化石を見て外国産の化石を買った事がありますが、夕日寺に来るまでは化石が日本で採集できるとは思っていませんでした。 翌日、教えてもらった地図を片手に探し当てたのは写真4のように犀川の流れにより露出した場所でした。当時は通称眼鏡橋という趣のある古風な橋があり、 その下流から数百メートルに渡り写真5のように化石層が犀川の流れで露出しています。

 大桑(おんま)層は80から120万年前の新生代第四紀の地層でその名前の由来はこの犀川の地を現在は「おおくわ」と呼びますが古くは「おんま」と呼んでいたからです。 金沢周辺から富山県西部に広く分布する地層で、金沢地区の大桑砂岩からは暖流系から寒流系の約200種類の貝類や魚の骨、ウニなどが産出します。これは氷河期に関連した 海面の上下が多数回あったことが起因しています。

 私は当時愛知県豊川市に住んでおり、週末に金沢に行った折に犀川の大桑層に行き、地層を一通り歩き化石を探しました。犀川の大桑層は砂岩で柔らかく、春の雪解けの水や大雨時の 濁流が川岸の土手を崩し、地層が大きく変化します。水が引いた時に崩れた地層や露出した地層からはホクリクホタテガイ(絶滅種)などの大物が採集できました。 写真6は川の流れで露出したホクリクホタテが数枚重なって見つかった時のものです。写真7は写真6の場所より数枚の両殻が揃ったホクリクホタテとサンショウニを取り出したものです。

 また白峰村の恐竜博物館を訪れた時に当時の松浦館長の著書である「石川の化石」を購入し、以後この本を愛用し化石の種別の同定などの参考にしています。 その後犀川で採集した写真8のような魚の骨の種別鑑定を松浦館長にお願いに行ったのがきっかけで白峰の恐竜発掘調査に参加できる機会を得ました。 その発掘調査で知り合った東海化石研究会の方の紹介で研究会に入会し、瑞浪市化石博物館友の会の活動と合わせて中部や北陸を中心とした幾多の産地に行き化石を採集することができました。  以上のように夕日寺の「化石の広場」は私のその後の化石にかかわる活動の原点となった所であり、その後数年は犀川の大桑層は私のホームグラウンドでした。

 家族が豊川に戻った後も実家の帰省の折りは犀川に必ず寄り、元の眼鏡橋(数年前に雪解けの流水で壊れ新しい橋になった)から両岸を下流に向かって歩き、地層の変化を観察しながら 化石を採集しました。最近は化石層が川の流れで削り取られたり、堤防の治水工事などで化石層が無くなり、化石の種類も少なくなっていますが、数年前までは暖流系から寒流系 外洋から内湾、浅海から深海の化石など多種の化石が採集できました。

 写真10から32に私が採集した化石の一部を載せています。当時の記憶を元に採集した場所に化石の写真を配置しました。これによりどの化石がどの場所で採集できたかが分かります。 上流では深い海の化石が下流では浅い海の化石が多いようです。

 今までに多くの化石を展示している化石博物館や自然史博物館を見学しました。そこでは化石サンプルは勿論、地質の変化や生物の進化と多様化の展示にいつも新鮮な感動を得ます。 もし私が小中学生であった時に近くに化石博物館か化石地層があったならば、と思う事があります。幼少の頃に化石との出会った時の驚きや感動は少なからずその後の人生に影響を与える と思うからです。自然の大切さも学びます。

 多くの大都市には公営の自然系の博物館(自然史博物館、自然博物館など)はありますが、名古屋市のように未だに無い所もあります。永年の要望でようやく金沢市に石川県立自然史資料館の 建設が進行中であり、一部無料でオープンしており、昨年夏の帰省の折にその場所を訪れました。松浦先生(私の出身の高校の先生をされていた)が八千点の化石を寄贈されており、 写真9は大桑層の化石の展示コ−ナです。  金沢大学や個人所蔵の貴重な化石サンプルを公開した博物館が金沢市にできる事は大変有意義な事であり、早く完成し正式公開される事を願っています。また松浦先生が書かれた「石川の化石」 にその後発見された化石を加えた改訂版の発行が待たれる所です。

 最後に夕日寺や犀川河原のような産地で化石を学習体験できる場所がいつまでも残るようにして欲しいものです。


<写真1>夕日寺町「化石の広場」




<写真2>化石の広場から掘出したホクリクホタテ




<写真3>化石の広場からの採集サンプル展示



   
<写真4>犀川旧眼鏡橋からみたの大桑層遠望



<写真5>犀川の流れで露出した化石層


<写真6>川の流れで露出したホクリクホタテ


<写真7>掘出したホクリクホタテとサンショウニ


<写真8>魚の肋骨


<写真9>石川県立自然史資料館の展示コーナー


 

 ホーム