千葉県の街歩き
船橋、谷津干潟 船橋市
  IPCCでの仕事のため東京に行き、2004年12月から半年単身赴任していたのが千葉県第2の市の船橋市であった。 近くに谷津(やず)干潟があり船橋市内から船橋漁港に隣接する日本最初の大型ショッピングセンター ららぽーとに寄り、船橋競馬場の横を通り 谷津干潟自然観察公園までウオーキングした。船橋にはJR総武本線、京成本線、東武野田線の駅があり駅前には大手デパート、スーパーがあり、東京駅まで20分 と便利な所であった。また市街の船橋大神宮には3階建ての西洋風の 船橋大神宮灯明台浅間灯明台があった。


↑ 船橋港

↑船橋大神宮灯明台(とうみょうだい)

↑ 谷津干潟(ラムサール条約に登録)


↑ 船橋港親水公園で

↑船橋大神宮灯明台 3階の西洋風灯室

↑船橋大神宮灯明台説明板

    ↑ 谷津干潟の鳥

千葉市街
2回目の健歩会のウオ−キングで千葉市内のの歴史史跡を巡る。前回と違って平坦な道が多かったが、16Kmとかなり歩いた。 青葉の森公園の中にある千葉県立中央博物館が見学できて良かった。

歩程:約16Km
JR都賀駅→加曽利貝塚公園→都市緑化植園→じゅん菜池公園→青葉の森公園(昼食):千葉県立中央博物館→千葉寺→亥鼻公園 →千葉神社→JR千葉駅


↑加曽利貝塚発掘跡

↑都市緑化植園のバラ園

  ↑千葉(せんよう)寺の説明板



↑亥鼻公園の千葉城址 (千葉市立郷土博物館):千葉常重築城


   ↑加曽利貝塚説明板

↑バラ園のバラ

↑千葉(せんよう)寺 :開創千年の千葉市最古の寺院



↑千葉神社  

成田山新勝寺 [成田山新勝寺] [大本山成田山]
 成田山新勝寺は創建1068年の真言宗の大本山寺院で参詣人は東京の明治神宮についで全国二位である。沖縄に移動する前の正月に新勝寺を初めて訪れた。 本堂までの長い参道には古い並や色々な土産店があり興味深いものであった。成田山新勝寺のある千葉県成田市は国際空港が有り、東京駅からJRで、上野から京成電鉄で一時間余りで行ける。





参道の土産物店を見ながら歩く











参道の漬け物店


鰻を調理している人








仁王門の大きな提灯


大本堂の前で1


大本堂の前で2


初詣の参拝を待つ人の波:大本堂横から三重塔 (国指定重要文化財)を望む











         成田山祇園祭りの山車前で

小江戸 佐原 佐原 古い町並



























































伊能忠敬記念館

銚子電鉄 犬吠埼 「銚子電気鉄道」
銚子電鉄は日本でも数少ない趣のあるローカル線で、終点の外川駅までトロッコ電車が走っている。古い地層が残る犬吠埼の海岸を訪れた。
   


銚子電鉄プラットホーム
   


銚子電鉄始発駅「銚子駅」
   



   


  国木田独歩の詩碑
   


国木田独歩の詩碑説明看板
   


古生代白亜紀の地層が露出
   


古生代の地層、遠くは犬吠埼灯台
   


犬吠埼灯台
   



   


銚子電鉄終点の外川駅よりトロッコ電車で銚子駅に戻った。外川駅はNHK連続テレビドラマ「澪つくし」でロケがされた昔ながらの駅で記念の看板がたっていた。 銚子電鉄は日本でも数少ない趣のあるローカル線で、古い地層が残る犬吠埼の海岸と相まって、都会の雑踏をしばし忘れさせる一日であった。
   



   


トロッコ列車で

鋸山日本寺 鋸山日本寺


神奈川県久里浜〜千葉県金谷(鋸山)の東京湾フェリーの航路図


鋸山山頂へのロープウエイ


鋸山山頂


鋸山日本寺案内図





頂上付近には「地獄のぞき」がある


「地獄のぞき」がある頂上


「地獄のぞき」への階段


【百尺観音】昭和41年5月、6年を費やして岩肌に彫られた高さ100尺(30.3m)の大観音石像

















【大仏】 昭和44年6月、4ヶ年にわたる復元工事によって再現した総高31.05メートルある名実ともに日本最大の大仏










瀬又 (化石産地) 

東京に移ってから初めて行ったのが千葉県市川市の瀬又地層である。地学がガイドを見て地層を探したが見つけるのに苦労した。 瀬又の地層は新生代第四紀更新世の化石が産出し、大きなトウキョウホタテなどが採取できる。


瀬又化石地層
トウキュホタテを採取中


採取した化石を並べる
採取した大きなトウキュホタテ(160cm)

利根運河  利根運河
 利根運河は千葉県の流山市、柏市、野田市の3市に接し、利根川と江戸川を結ぶ全長約7km。日本で有数の本格的な運河、 利根運河は明治23(1890)年の完成以来、舟運路、洪水対策、都市用水の導水路として、時代の変遷とともに、その役割を変えてきました。  明治中期に東京圏の水運として作られた利根川と江戸川を結んだ利根運河を歩いた。千葉の銚子に流れ出る利根川と東京の千葉の境を東京湾に 注ぐ江戸川をつないだ運河があったのをこの日初めて知った。

利根運河 運河駅から江戸川 川間大橋 2021年10月23日




利根運河 (運河駅〜江戸川の分岐点)









利根運河のあゆみ解説板







利根運河開通直後に航行する船




利根運河堤防を歩く





東武野田線運河鉄橋を走る電車































利根運河から見た富士山







江戸川と利根運河の分岐点








利根運河、江戸川、富士山 (下から)

IPCCウオーク


↑江戸川右岸

↑利根運河の堤防を歩く





↑江戸川から利根運河(右手前)へ

↑利根運河(運河大橋付近)




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