LEITZ minolta CL 「Range Finder」 とのかかわり
「Leitz Minolta CL」 「ライツミノルタCL(光り影の再現)」 「ライツとミノルタの提携」 「ライカ(Leica)」



 ライツミノルタCL:Leitz Minolta CL(国外発売名はライカCL)はドイツのライツ社が開発、ライツと日本のミノルタが共同で設計・品質評価、 ミノルタが製造したカメラで1972年(昭和47年)に両社の提携が全世界に発表され、1973年(昭和48年:沖縄が復帰復した翌年)に発売されました。
1969年(昭和44年)にミノルタの堺工場(大阪府堺市)にライツの技術者が3人(開発者、生産設計者、品質評価者)が来てミノルタの技術者と共に設計 、試作評価、製造ライン化を行い、数年に渡りミノルタで製造を行いました。
 
  
↑ライツミノルタCL(正面と上面から見た)

↑ライツミノルタCLのカタログ表紙
  
↑ライツミノルタCL構成・機構系統図
(青/黄:ファインダ、赤:露出、青:シャッタ・巻上)

↑ライツミノルタCLの紹介
 ライツミノルタCLはライカM5を基本とした小型カメラ(CLはコンパクトライカ)で、ライカMマウントを持ち、新開発のミノルタ製造の40mm標準レンズと ライツ社製造の90mmレンズの他に従来のライカレンズが装着できます。
 測光は中央重点測光方式でCds受光体がシャッター幕直前にあり、撮影時には画面から逃げる機構になっています。シャッターは縦走行の布幕フォーカルプレーンシャッターで、 1/2〜1/1000秒が使用できます。

↑ライツミノルタCLと交換レンズ群
↑国産のMマウント望遠レンズを装着
 私がミノルタカメラ(現コニカミノルタ)に入社したのは1967年(昭和42年:一眼レフカメラのミノルタSRT101が発売されて一年後)で、その2年後の1969年(昭和43年)に ライカCL(日本発売名はライツミノルタCL)の共同開発メンバの一人となり、実像式レンジファイダー(主に距離計連動機構系)を担当しました。
 実像式レンジファイダーは被写体から入射した2つの光学像の撮影レンズ側の対物レンズからの像とファインダー対物レンズからの像を測距マスク位置(実像)で合致させる 三角測量測距のファインダーです。実像式のため像は鮮明で、測距マスク内は2重像合致で、測距マスクの上下端では上下像合致式で精度良くピンと合わせができます。
↑ライカM2/M5レンジファインダー光学系
(基線長:69.5mm、倍率:0.7、有効基線長:48.65mm)

↑ニコンSPレンジファインダー光学系
(基線長:60mm、倍率:1.0、有効基線長:60mm)

↑2重像合致式と
上下像合致式合致式の比較
 ライツミノルタCLは非常に小型のため狭いスペースに距離系光学系を配置し、レンズ繰り出しカムに接触した距離計ローラーからの移動距離を正確に可動レンズの移動距離に 連動する機構を有しています。また三角測量のために被写体距離によりパララックスがあり、測距マスク、視野枠の位置が異なるため、距離計ローラーの繰り出しに連動させています。
↑ライツミノルタCLレンジファインダー光学系
(基線長:31.5mm、倍率:0.6、有効基線長:18.9mm)

↑ライツミノルタCL距離計連動機構図
 ライツミノルタCLのファインダー光学系の基線長(三角測量をする2つの光学系の光軸距離)は31.5mと小さく、ライカM2/M5、ニコンSPなどのファインダー光学系の半分で、 測距性能に関わる有効基線長(基線長×倍率)は約1/3の18.9mmです。故に測距性能の保証は90mmレンズまでとなっています。
 距離計光学系の固定レンズ光軸位置は光学調整装置の基準光軸を使いレンズ組立てごとに心合わせと固定を行い、可動レンズの光学中心位置は距離計ローラーの1.6m位置で調整光学系 の光軸に合致するように可動レンズ作動レバーの偏心ピンで調整しました。その距離系光学系調整装置はライツ社の図面を基にミノルタで製作しました。

↑ライツミノルタCL距離計(上面から)

↑ライツミノルタCL距離計(斜前から)

↑ライツミノルタCL距離計(前下から)

↑距離計5(対物レンズ、測距マスク作動部)

↑距離計1(視野枠作動、切替機構)

↑距離計2(可動R、視野枠作動部)

↑距離計3(可動R作動、調整機構)

↑距離計4(対物R、ペンタプルズム)
 当時は電卓やコンピュータが無かった時代で、距離計ローラーと可動レンズの相互位置の誤差がすべての被写体距離で最小になるように手計算を時間をかけて行いました。
 またドイツと日本の図面はその書き方が異なり、ドイツは一角法、日本は三角法です。一角法は正面図に対して上面図、側面図、底面図は物を透視して配置しますが、三角法は正面図に対して 上面図、側面図、底面図は物を展開して配置します。ライツ作成の製品図面や距離系光学系調整図面(一角法、ドイツ語)をすべてミノルタ図面(三角法、日本語)に書き直しました。
 ライツ技術者とは通訳を介して会話をしましましたが、カメラの技術的な事や図面のやり取りは、技術者同志でカメラ用語一覧、図面、計算式、ポンチ絵を駆使して通訳無しでも結構通じました。

↑ライツミノルタCL距離計可動レンズ作動図



↑ライツミノルタCL距離計測距マスク作動図

 ライツの技術者とは近隣の名所旧跡などに行ったりして親睦を深めました。特に親しかった技術者(Birkさん)から、ライツの本社があるドイツのウェツラー(Welzlar)の本 やウェツラー市街の版画をもらい、いまでも大事に保管しています。あれから40年経ちましたが、いつかウェツラーに行って会ってみたと思っています。

↑ライツ技術者(カイナーさんとビルクさん)



↑ライツとミノルタのプロジェクトメンバー:1973年



↑ライツ技術者(クルツベルク夫妻)と


 
↑ドイツのウェツラーの本



↑ドイツのウェツラー市街の版画


      
↑ライツ技術者(クルツベルクとカイナさん)の送別会で
  


↑京都 祇園街を歩く舞妓さん (ウェーバーさんにあげる)

 1975年(昭和50年)に40mm標準レンズ付きのライツミノルタCLを114,000円で購入しました。あの当時の月給より高かかったと思います。

↑購入したライツミノルタCL(1975年 )




 その翌年にヨーロッパへ行った時に持参し、撮影モニターを兼ねて多くの写真を写しました。ライカのレンズ光学設計が良いせいか、ミノルタの製造技術が良いのか、 非常にクリアな写真が撮れました。
 その時写した写真の一部を以下に載せます。40年前のプリントをデジタルカメラ(KONIKA MINOLTAα7digital)で接写したものです。


↑ルーブル美術館で(パリー) 1976:ライツミノルタCL



↑モンマルトルの日本画家(パリー) 1976:ライツミノルタCL

↑シュノンソー城前で(ロワール) 1976:ライツミノルタCL

↑フォロロマーノで(ローマ) 1976:ライツミノルタCL

↑バチカン宮殿前で(バチカン市国)1976:ライツミノルタCL

↑運河を行くゴンドラ(ヴェネツィア) 1976:ライツミノルタCL

↑ドゥモー前で(フィレンツェ) 1976:ライツミノルタCL

↑ペルセウス像の前で(フィレンツェ) 1976:ライツミノルタCL

上の写真は購入したライツミノルタCLに40mm標準レンズをつけてフジフィルムで写したものですが、暗い所も明るい所も画像が飛ばずに柔らかくきれいに写っています。 このカメラは今でも故障無しに作動していますが、今はコニカミノルタα7デジタルを愛用しており距離計ユニットとともに保管棚に置いています。

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