美川町の歴史的町並み歩き
美川歩きの地図



美川の町歴史的案内マップ(石川文化会館より)




美川駅


美川駅と前の広場の台車のモニュメント(おかえり祭り)


美川駅前広場を練り歩く神輿 (おかえり祭り)


旧美川駅前を練り歩く神輿 (おかえり祭り) :石川ルーツ交流館展示より


美川駅前の日本遺産の看板

永井家 北前船主邸宅 (中町通り)



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五十鈴通り/仏壇通り


濱上家 伝統的家屋 (五十鈴通り/仏壇通り)








勝見仏壇店 (五十鈴通り/仏壇通り)










 今からおよそ五百年余前、遠く室町時代は応仁の乱の頃、戦乱を避けて京の都から浄土王国、加賀の国へ多くの人々が流入しました。その中に仏壇(厨子)造りの職人達も多く含まれていたといわれています。
 当時、美川町は本吉村と呼ばれ、加賀の国有数の湊町として栄え、材木の取引が盛んであったことなどの好条件により仏壇の製作が始まったと伝えられています。
 小松長吉という人物が初めて美川仏壇を造ったとされ、江戸時代に六代目小松長次がその声価を高めたといわれています。その後、寛政年間には伝統工芸希少価値が高い堆黒と漆絵を考案した名工湊屋村次郎(生没一七九六?一八五九年)が現れ、美川仏壇を一躍有名にし、その製品は全国に拡がりました。
 生誕二百年を迎えた現在、村次郎の作品である徳証寺と正寿寺の漆絵が美川町文化財として指定保存され、また天保三年在銘の仏壇が今も使われています。  昔から美川仏壇の評価が高いのは、他産地には類例のない、真似のでき得ない堆黒、研出の技法に代表される「堅牢、荘厳、華麗」な完成度をすべて手造りの伝統をを受け継ぐ職人達によって独創的に今日まで守り続けられているからです。また、精緻を極めた技術は、寺院内陣、御神輿、曳き山の修復、新調にも活かされています。
 「美川仏壇」は、昭和六十三年には石川県伝統工芸品として指定を受けています。また平成十九年には、特許庁より地域団体商標の認定登録を受けています。

北潟酒店 (五十鈴通り/仏壇通り)





今町通り


正壽寺 (今町通り)









羅陵の松






親鸞聖人の銅像

任孫ぬか漬け店 (今町通り)


 

  佐渡家:北前船主の家 (今町通り)

























  徳證寺 (北町通り)


 


浄願寺(南町通り)





藤塚神社(おかえり祭りの起点地)












藤塚神社の前の神輿

藤塚神社のお旅所(仮宮)








御台場の水



美川のまちなかにある「お台場の水」は、昔から協同洗い場として使われており、地域の人たちに愛されてきました。
今では「名水」として名を馳せ、美川散策コースの中で観光客の方々も立ち寄る人気のスポットになっています。








安産川にかかる御台場橋

美川小学校



白山市立美川小学校は、石川県白山市和波町にある公立小学校。略称は「美川小」。 校舎は2010年に建て替えられており、日本海と白山を一望できる展望台、レンガと木材を利用した校舎、芝生部分のある運動場が備わっている。


教頭先生の案内で昔の展示を見る


前 一彦氏寄贈の油絵

将健館の内部


内装は前校舎、前々校舎と変らない


屋上展望台から見た美川町の風景


運動場と美川の町並み


美川の街、正壽寺と徳證寺が見える。遠くに薄く白山連峰を望む。


手取川、美川漁港と工事中の高速道路

美川小学校全景 (西側から見た)


右端が奨健館(体育館」、左側の高い建物は展望台

奨健館 (安産川の三栗橋から見た)




【参考】 美川小学校校舎今昔 


美川小学校校舎全景(左手前が奨健館):1935年頃   奨健館の位置、外観、内装は今と変わっていない。


正門から見た旧校舎(6年文集の挿し絵より)


前校舎門正門の前で:1998年頃


美川小学校前校舎の二宮尊徳銅像

石川ルーツ交流館










北前船(帆船)の模型


石川ルーツ交流館展示より


石川ルーツ交流館展示より


石川ルーツ交流館展示より

美川文化会館


 


美川文化会館の文化祭展示場


おかえり祭り巡行図 


おかえり祭り巡行図 (藤塚神社のお旅所をでる台車」 


美川文化会館展示より


美川文化会館展示より

美川漁港


 





漁港に入る漁船(美川文化会館より)   


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