今からおよそ五百年余前、遠く室町時代は応仁の乱の頃、戦乱を避けて京の都から浄土王国、加賀の国へ多くの人々が流入しました。その中に仏壇(厨子)造りの職人達も多く含まれていたといわれています。
当時、美川町は本吉村と呼ばれ、加賀の国有数の湊町として栄え、材木の取引が盛んであったことなどの好条件により仏壇の製作が始まったと伝えられています。 小松長吉という人物が初めて美川仏壇を造ったとされ、江戸時代に六代目小松長次がその声価を高めたといわれています。その後、寛政年間には伝統工芸希少価値が高い堆黒と漆絵を考案した名工湊屋村次郎(生没一七九六?一八五九年)が現れ、美川仏壇を一躍有名にし、その製品は全国に拡がりました。 生誕二百年を迎えた現在、村次郎の作品である徳証寺と正寿寺の漆絵が美川町文化財として指定保存され、また天保三年在銘の仏壇が今も使われています。 昔から美川仏壇の評価が高いのは、他産地には類例のない、真似のでき得ない堆黒、研出の技法に代表される「堅牢、荘厳、華麗」な完成度をすべて手造りの伝統をを受け継ぐ職人達によって独創的に今日まで守り続けられているからです。また、精緻を極めた技術は、寺院内陣、御神輿、曳き山の修復、新調にも活かされています。 「美川仏壇」は、昭和六十三年には石川県伝統工芸品として指定を受けています。また平成十九年には、特許庁より地域団体商標の認定登録を受けています。 |