美川「おかえり祭り」 おかえり祭り おかえり祭り(松田亜世)

 生誕地である美川町 (現白山市美川) では毎年五月の第三土曜、日曜日に二百年の伝統がある「おかえり祭り」が二日間にわたり開催され、天下の奇祭として有名です。
 一日目の早朝、南町の藤塚神社 (本宮) から出発した13台の台車 (だいぐるま) と神輿が全町内を巡行し、夜に高浜のお旅所(仮宮)に入り、台車はそれぞれの町の台車小屋の前に 整列して末尾の神輿を迎えます。神輿が仮宮の前の鳥居を時間をかけて、くぐる時のしぐさはクライマックスです。
 二日目はお旅所で仮宮に向けて整列した台車や仮宮の神輿を見るができ、夕方に一日目と同じ順序でお旅所(神社)を台車と神輿が出発(お立ちと言う)して、その年のおかえり筋を 巡行し、翌日の明け方、本宮に戻ります。
 美川には町筋が10町 (南から南町、中町、北町、新町、永代町、今町、神幸町、浜町、末広町、和波町) あり、毎年おかえり筋が毎年順次変わります。則ち10年に一度、その町がおかえり筋となり、 そのために家を改修したりして準備します。
 お帰り筋での家では美川町を出た家族や親戚や知り合いを招いてもてなすのが習わしで、その家に帰ると言う事から「おかえり祭り」言われています。 また知らない人でも家に入れてごちそうしたり、おかえり筋の祭宴が夜を徹して続くなどが天下の奇祭と言われる由縁です。  13台の台車(だいぐるま)は日本でも数少ない3輪車で、頭の一輪を持ち上げて回転、方向転換が自在にでき、お帰り筋の家の玄関に台車の頭を向ける事が容易です。 台車がお帰り筋のが家の前に頭を向けると、台車の曵き手が家に入り込み、酒や祭りのごちそうがふるまわれます。
 台車のほとんどに大きな昔の偉人の人形が搭載されていいますが、人形が搭載されていない台車は三台あります。先頭に曵かれる「桜」を搭載した今町の台車と最後尾に曵かれる「鏡」を搭載した末広町の台車と 「太鼓」を搭載した永代町の台車です。
 小学生の頃、永代町に住んでいて、小学6年の時に台車に乗り太鼓をたたいた事があります。縦に置かれた大きな太鼓、4人の小学生が対角線に座って、はやし声をあげながら太鼓を叩きます。 その子供達を「あかにんに」と呼び、そのかけ声は「エイヤサッサ ウッタリデイコ、、、」から始ります。  台車には子供達が座れる桟敷きがあり、その中央前述の人形や太鼓を搭載しています。その座敷きに前の一輪を支える車輪保持部に続く階段から登る事ができます。この二つの保持部を持って、 台車を持ち上げたり、回転したりできます。またこの保持部に多くの人が台車を引っぱれる長い綱が連結されています。 昔は台車は女人禁制で、曵き手や乗る子供は男子のみでしたが、今は女子でも良いようです。
 台車の屋根は2種類あり、4本柱に支えられた神社のような屋根 (本土の山車はこれ) と大きな傘を搭載 屋根 (これは美川しかない) です。 また台車や神輿の壁面には美川仏壇で使われている漆や金箔がふんだんに使われていて、大変豪華絢爛です。
新谷記
 


おかえり祭り:絵はがきより


天下の奇祭・おかえり祭り (北國新聞社記事「河口の町美川」より:昭和後期)


  

天下の奇祭「おかえり祭り」 (北国新聞記事より:1982年)





     




美川おかえり祭り絵巻より(S62年2月美川町発行 中西 勲 画)


↑巡行1:藤塚神社を立つ今町と北町の台車

↑巡行2:東新町、南町、西新町の台車

↑巡行3:永代町、中町、船職組の台車

↑巡行4:浜町、神幸町、和波町の台車

↑巡行5:家方組、末広町の台車、獅子舞

↑巡行6:ラッパ手、青年団長、騎手、神輿

↑巡行7:右大臣、左大臣、猿子、巫女舞、宮司、神社役員

藤塚神社:台車、御神輿の起点地とお旅所(仮宮)


  藤塚神社(おかえり祭の台車の起点地)


お旅所 (仮宮) の左右に整列する台車

台車、御神輿の順行

> ↑美川おかえり祭り おかえり通りを高浜のお旅所(仮宮)に向って巡行


藤塚神社の前を巡行する家方組の台車


藤塚神社の前の神輿


中央に人形を搭載した三輪の台車 (傘屋根)の西新町の台車の巡行


美川駅前広場で先端を持上げて巡行する末広町の台車


旧美川駅前を練り歩く神輿


美川駅前広場の神輿、上記旧美川駅前の神輿と同アングル


美川大橋近くを練り歩く神輿


永代町西の台車 4人の小学生が太鼓を打つ (以前は女人禁制だった)


濱町の台車に搭載の人形「楊貴妃」

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