↑与那国島全島図 (赤線が歩いた所):約65Km |
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ティンダハナタからの祖納市街と祖納港 ↑元の国泉泡盛合名会社(泡盛 どなん) ↑与那国町役場 ↑与那国織: DiDi与那国交流館展示より |
↑DiDi与那国交流館と与那国小・中学校 ↑十山神社 ↑与那国小・中学校の塀の壁画の前で ↑三崎酒造所(泡盛 与那国) |
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ティンダハナタからの祖納市街と祖納港 : Sketch by Juchi Shiny
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↑久部良港と久部良集落 ↑3泊した民宿「たいだん」の前で ↑日本最西端の碑の前で ↑カジキマグロが並ぶ久部良魚市場 ↑久部良バリ |
↑上原かまぼこ店のおにいさん ↑日本最西端の灯台と台湾の山: DiDi与那国交流館展示より |
久部良漁港からの日本最西端の碑と灯台 : Sketch by Juchi Shiny
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南牧場内の道路を移動する与那国馬の親子 |
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カタブル浜 : Sketch by Juchi Shiny
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↑与那国馬(う)牧場 ↑Dr.コトー診療所撮影地 |
↑牧草を食べる与那国馬 ↑Dr.コトー診療所 出演俳優 ↑比川集落の古民家 |
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↑アヤミハビル館前の原っぱで戯れる子やぎ |
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↑与那国空港からプロペラ機に乗る |
↑鳩間島を眼下に見て石垣空港に向う |
↑波照間島全図 (赤線が歩いた所):約36Km |
↑高速船から見た波照間島全景 |
↑波照間港の岸壁の歓迎の絵 |
↑波照間港の高速船と乗り降りの客 |
↑波照漁港の堤防からニシ浜ビーチを望む |
↑ニシ浜ビーチで泳ぐ (遊ぶ) 人びと |
↑波照漁港の堤防からニシ浜ビーチと海を望む |
↑波照漁港の堤防からニシ浜のハテルマブルーの海 |
↑サトウキビの精糖は今(2〜3月)が最盛期 |
↑底名溜池展望台全景 |
↑底名溜池展望台はコート盛を模倣 |
↑底名溜池展望台の上からの溜池と海岸線 |
↑ベムチ浜の東方向を望む |
↑ベムチ浜全景 (パノラマ写真) |
↑ベムチ浜の西方向を望む |
ペムチ浜東方向: Sketch by Juchi Shiny |
↑日本最南端の碑の横で |
↑日本最南端 平和の碑の碑 |
↑日本最南端の断崖を望む |
↑日本最南端の断崖 (航空写真) |
↑星空観測タワー |
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↑高那崎を望む |
↑高那崎の断崖 (航空写真) |
↑サトウキビ畑の道を灯台に向う |
↑高台にある波照間灯台全景 |
波照間灯台: Sketch by Juchi Shiny |
↑高台にあるコート盛 (火番盛) |
↑コート盛 (火番盛) 全景 |
コート盛 (狼煙台): Sketch by Juchi Shiny |
↑コート盛 の上 狼煙跡からの朝焼け |
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↑下田原城跡 城壁 |
↑アカハチ誕生の地 |
↑長田御殿跡 |
↑集落方面への道 |
↑波照間灯台への道 |
↑ベムチ浜への道 |
↑集落への上り道 |
↑古民家の前の道 |
↑コート盛 (火番盛) への道 |
↑デイゴの花が咲く道 (土地改良の碑) |
↑サトウキビを狩る人びと (日本最南端の畑) |
↑古民家 1 |
↑古民家 2 |
↑古民家 3 |
↑名石共同売店 |
↑南共同売店 (日本最南端の共同売店) |
↑波照間島郵便局 (日本最南端の郵便局) |
↑泡波酒造所 (日本最南端の酒造所) |
↑波照間中学校壁画 (日本最南端の中学校) |
↑野生のやぎの親子 (北部の水源地への道で) |
↑草を食べる子やぎ |
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↑黒島全図 (赤線が歩いた所) |
↑「民宿くろしま」に着く |
↑黒島灯台をスケッチ (新谷壽一作) ↑黒島灯台の前の海岸 (断崖) |
↑国有形文化財の標識と伊古桟橋 ↑伊古桟橋を先端まで歩く、遠くに小浜島が望まれる ↑全長335mの伊古桟橋の先端に着く |
↑伊古桟橋をスケッチ (新谷壽一作) |
↑伊古桟橋を空より(左) |
↑伊古桟橋を空より(右) (JTA機内本より) |
↑民宿の人の見送りで黒島港ターミナルを離れる ↑遠方の黒島を後に石垣島に向う |
仲間川のマングローブクルーズに出発 クルーズ船から見たマングローブ |
↑サキシマオウの巨木 |
↑サキシマオウの前で1 ↑サキシマオウの前で2 |
↑干潟の蟹とハゼ ↑干潟の蟹 |
↑由布島 へ渡る水牛車の前で ↑水牛車で由布島 へ渡る。遠浅の海を400m ↑由布島に向う水牛車で三線をひく水牛使い ↑記念撮影用水牛の前で ↑由布島 に渡る水牛車の前で記念撮影 1 ↑由布島 に渡る水牛車の前で記念撮影 2 ↑水牛が身体を休める池 ↑水牛一家への感謝の碑 ↑由布島の亜熱帯植物園で ↑植物園の可憐な花 ↑植物園の花の蜜を吸う蝶 |
↑カンビレーの滝のパノラマ写真 |
↑大原バス停と大原創立五十周年記念 ↑大原神社 ↑大原創立五十周年記念碑 |
↑大原創立五十周年記念碑と忠魂碑のスケッチ(新谷壽一作成) |
↑大原港高速船ターミナル ↑海岸で拾った材料で山猫人形を作成した識名さん |
↑日本最南端の交通信号機 |
↑日本最西端のバス停 |
↑赤線が路線バスの経路 (豊原〜白浜) |
↑豊原バス停 ↑大原バス停 ↑上原港高速船ターミナル ↑白浜バス停 |
↑月ケ浜のパノラマ写真 |
↑星砂の浜のパノラマ写真 |
↑樹上を移動するイリオモテヤマネコ ↑あくびをするイリオモテヤマネコ |
石垣島一周マップ: 赤線がレンタカーで走った所 |
↑息を飲む程きれいな川平(かびら) 湾 ↑川平湾を背に1 ↑養殖した黒真珠 |
↑平久保崎灯台のスケッチ (新谷壽一作) |
↑展望台から見た八重山諸島 |
↑八重山博物館全景 ↑波照間島前部落の獅子頭 |
↑「うさぎや」の前で ↑生ビールで乾杯 ↑三線歌謡ライブを聞く ↑唄に合わせて皆と踊る |
↑離島ターミナル全景 ↑離島ターミナルフェリー乗場 ↑離島ターミナル道路を歩く ↑離島ターミナル 東側 ↑離島ターミナルの具志堅用高の像の前で |
↑サンゴの石垣と赤瓦の古民家群をなごみ塔の展望台から写す |
↑竹富島の航空写真 ↑竹富島の説明板 ↑竹富島の古い町並地図 ↑竹富島の標識の前で1 ↑竹富島の標識の前で2 ↑竹富島ゆがふ館(ビジターセンター)のマップ ↑珊瑚の垣との珊瑚の白い道が美しい道で ↑古民家の珊瑚の石垣赤上の赤い花とウリ ↑民宿「大浜荘」ハイビスカスノアーチの前で ↑赤い屋根瓦と守神シーサーがある竹富郵便局 ↑竹富小・中学校の正門の前で ↑竹富小・中学校の前の花壇前で ↑町並を巡る水牛車 水牛車に乗って ↑水牛と皆で記念撮影 ↑美女 安里屋 (美女クマヤ) 生誕の地 ↑白い珊瑚の道を歩く ↑古民家と前で ↑古民家となごみの塔 (展望台) ↑なごみの塔 (展望台)への道で ↑古民家の屋根の上の守神シーサ ↑カイジハ浜に向って歩く ↑カイジハ浜で星の砂を探す |
↑ホテルから平良港を望む |
↑飛行機からみた来間(くりま)大橋と来間島 ↑来間島から来間大橋を望む |
宮古島観光案内の前で ↑東平安名崎灯台:日本の灯台50選 ↑東平安名崎灯台より1 ↑東平安名崎灯台より2 ↑↓マムヤの墓 |
↑池間島全体図 (航空写真) ↑レストランの紹介新聞記事 |
↑白鳥崎岬 ↑佐和田の浜 |
↑下地島空港滑走用突堤 ↑伊良部島(左)と下地島にかかる橋 |
↑大神島漁港 ↑農作業中の老婆 ↑大神島展望台からみた池間島 ↑大神島展望台からみた集落 ↑海に向って祈る人 |
↑久米島全島図 ( 赤線が歩いた所) |
↑フェリーから写した久米島漁港方面 ↑久米島行きフェリーからのスケッチ (新谷壽一作) |
↑兼城農村公園の歌碑 (こはでさ節) ↑兼城集落の古民家 ↑謝名堂漁港の漁船 ↑久米島製糖工場 ↑アーラ林道の大きな石 ↑島尻集落へ向う ↑島尻の石墓 |
↑東海岸からの奥武島のスケッチ (新谷壽一作) |
↑奥武島入口の標識 |
↑AM 8:42 ↑AM 9:00 ↑AM 9:31 |
↑AM 9:43 (セルフタイマー撮影) ↑AM 9:51 ↑大きさ2mもある六角形状の畳石の上で AM 10:10 ↑柱状節理の上端部 (断面) AM 10:22 ↑畳石と福島県から来た子供達 AM 10:18 ↑畳石の海で泳ぐ福島の子供 |
↑久米島 畳石(亀甲石)の説明板 |
↑奥武島の畳石のスケッチ (新谷壽一作) |
↑奥武橋 ↑モズク漁船 ↑海ガメ館前の浦島太郎の石像 ↑対岸はオーハ島 (干潮時は歩いて渡れる |
↑↑くるまえび養殖地 (久米島は日本一の生産地) ↑仲里漁港 昔の旧家仲村家 ↑昔の豚飼育小屋でトイレと直結 |
↑仲村家の屋根のシーサー1 |
↑仲村家の屋根のシーサー2 |
天后宮 (航海の神様を祀ったお宮) ↑仲里間切蔵元跡 ↑奥武島の畳石を使用した門 |
↑真謝(まじゃ)のチュラフクギ |
↑宇根の大ソテツ |
↑ミーフガー(子授けの拝所) |
↑久米島空港 ↑鳥島漁港 ↑久米島から渡名喜島行きフェリーから嘉手苅集落を望む |
↑久米島行きフェリーからの久米島 (新谷壽一作)< ↑久米島行きフェリーからの久米島と奥武島 (新谷壽一作) ↑久米島から渡名喜島行きフェリーからの久米島と奥武島 (新谷壽一作) |
↑AM 8:42 ↑AM 9:00 ↑AM 9:31 |
↑AM 9:43 (セルフタイマー撮影) ↑AM 9:51 ↑大きさ2mもある六角形状の畳石の上で AM 10:10 ↑柱状節理の上端部 (断面) AM 10:22 ↑畳石と福島県から来た子供達 AM 10:18 ↑畳石の海で泳ぐ福島の子供 |
↑久米島 畳石(亀甲石)の説明板 |
↑奥武島の畳石のスケッチ (新谷壽一作) |
. 渡名喜島全島図 (赤線が歩いた所) |
↑フェーリーから見た渡名喜島西側 (新谷壽一作) |
↑渡名喜島港全景 (フェリーより) |
↑大本田展望台よりみた黒島、慶良間諸島(説明写真より) |
↑アンジェラ浜、シュンザ、西森園地を望む ↑島尻崎を望む ↑島尻崎の海 ↑麦畑、シュンザ(屏風崖)、西森園地を望む |
↑島尻毛へ向う ↑島尻毛散歩道を歩く ↑島尻毛散歩道から慶良間諸島を望む |
↑西森園地展望台から見た渡名喜島東側 (新谷壽一作) |
↑サカシ散歩道で、左は港、右は入砂島 |
↑一番深い家、暴雨風対策のため、高低差1m55cm ↑集落唯一の島豆腐を作る店 ↑渡名喜島集落の町並(↓夜はライトアップ) ↑里御獄 14〜15世紀頃のグスク時代の遺跡 |
↑仲村家」跡、映画「群青」の中心撮影地 |
↑粟国島全島図 (赤線が歩いた所):約50Km ↑粟国島全島 航空写真 |
↑粟国島 地層図 |
↑フェリーからの凝灰岩の海食崖(88m) ↑粟国島フェリーターミナル ↑フェリー「あぐに」で粟国島に上陸 ↑粟国島案内図 |
↑ヤヒジャー海岸の火山地層説明板 |
↑溶岩と凝灰岩の層、遠くは海食壁 ↑黒い溶岩と赤い凝灰岩の層 ↑溶岩と火山の赤い灰凝灰岩の前で ↑凝灰岩の海食崖を背に |
↑凝灰岩の絶壁のヒヨドリを写す |
↑鍾乳洞内の洞寺(テラ)の拝所 |
↑観音堂の横のトゥージ |
↑琉球民謡「ムンジュル節」 発祥地の像 ↑運ん崎から凝灰岩海蝕壁を望む 石灰岩が露出した長浜海岸< ↑大正池と展望台への道 粟国島を離れる先生との分れ |
↑映画「ナビーの恋」のロケ地地 |
↑フェリーから凝灰壁をスケッチ (新谷壽一作) |
↑ザトウクジラ(子供?)のフルーク:粟国島フェリーより |
伊江島は本部港からフェリーで30分で行ける周囲23kmの楕円状の平坦な島で、伊江島中央やや東に標高173mの伊江島塔頭(タッチュー)の愛称で呼ばれる<城山(ぐすくやま)があり、沖縄本島からも沖縄への飛行機からも良く見える。
伊江島は名護市街から近いので良く訪れている。タッチューはチャートという古い岩石で出来ており、非常に固くその部分が長年の侵食作用で残ったものです。
終戦直後の写真(下記)と比較すれば、この70年足らずで岩石が滑落して現在と山頂の形状が変わっていのが分かる。また伊江島より北にある伊是名島、伊平屋島にもチャートの岩場があり、この3島は昔は陸続きであったと思われる。 今までに5回伊江島をの訪問しているが、かなりきつい階段を登ってタッチューの山頂から見た伊江島や沖縄本島のパノラマ景観は素晴らしい。伊江島を歩いて一周して名所、戦争遺跡を見学したり、タッチューが見える風景を四方から写しており、その一部を掲載する。 |
![]() ↑フェリーターミナルとタッチュー ![]() ↑タッチュー登山口駐車場 ![]() ↑ミンカザントウとタッチュー ![]() ↑伊江島煮し西小学校とタッチュー ![]() ↑タッチューを回る伊江島マラソン ![]() ↑伊江島飛行場(閉鎖)とタッチュー ![]() ↑水納島沖から見た伊江島 ![]() ↑瀬底ビーチから見た伊江島 ![]() ↑備瀬崎海岸から見た伊江島 |
![]() ↑タッチューをめざして歩く ![]() ↑タッチュー(城山) 頂上にて1 ![]() ↑島村観光公園とタッチュー ![]() ↑芳魂の塔とタッチュー ![]() ↑ニーパンカジーズイマールとタッチュー ![]() |
![]() ↑公設質屋跡とタッチュー ![]() ↑公設質屋とタッチュー(終戦後写真) ![]() ↑タッチュー(城山) 頂上にて2 ![]() ↑山羊小屋とタッチュー ![]() ↑風車とタッチュー ![]() ↑たばこ畑とタッチュー ![]() ↑ホースパークとタッチュー |
![]() ↑リリーフィールド公園(ゆり祭り開催中) ![]() ↑マーガー(18世紀の井戸跡) ![]() ↑ニャテイヤ洞(千人洞):戦時中村民避難 ![]() ↑アハシャガマ:今大戦で村民150人が自決 ![]() ↑ワジー(湧出)の水源跡を展望台から見る |
![]() ↑ユリ祭りのテッポウユリ ![]() マーガー風景図(1955年頃) ![]() 昭太寺:1554年琉球国王尚清が建立 ![]() 伊江島灯台:米軍演習場内 ![]() チヌィドゥタカラの家(反戦資料館) |
神戸行きの飛行機から見た伊江島全景 |
伊平屋島には北から内花(うちばな)、諸見(もろみ)、仲田(なかだ)、伊是名(いぜな)、勢理客(じっちゃく)という5つの地区があり、 各集落に古民家がある町並が残っておりおり、東南地区には尚円王ゆかりも遺構が多い。
★内花地区には内花漁港があり伊平屋島、具志川島行きの渡し船乗場がある。また諸見地区の近くに尚円王が青年時代に作った枯れない水田「逆田(さかた)」がある。 ★諸見地区には尚円王が沖縄本島に向かって指を差す有名な銅像がある「尚円王御庭(おにわ)」があり、すぐ近くに尚円王の生誕地とされ、へその緒を埋めてある[みほそ所]、大きな神アサギ、拝殿がある。 ★仲田地区にはフェーリータミナルがある仲田港があり、競技場、伊是名村役場、伊是名小学校、中学校などの公共施設がある。また大型スーパーJA、診療所がある。仲田集落にはフクギ、サンゴの塀に囲まれた古民家が多く残っている。 ★伊是名地区には南東端の伊是名城にある尚円王子孫を祭る玉御殿や南端中央には伊是名集落にある尚円王親族の古民家[銘苅家(めかるけ)]がある。また海岸線は[陸ギタラ][海ギタラ]という奇岩や御獄がある。 伊是名の民族文化財を展示している[伊是名ふれあい民族館]がある。 ★勢理客地区には勢理客漁港があり、古民家も多い。小学校跡が運動場になっていた。海岸線を歩いたが海岸にウミガメ産卵に適した砂浜があった。 各集落の古民家が続く町並が残っており、サンゴへ塀は伊平屋の物より高いものもあった。 伊是名島は琉球王朝時代からの文化遺産が多い島で、伊平屋島は自然文化遺産が多い島で趣きをことにしている。現在、伊是名島から伊平屋島までは間の具志川島を経由した渡し船がある。具志川島では沖縄貝塚時代の遺跡が発掘されて おり、その遺物が伊是名ふれあい民族館に展示されていた。いつか伊是名島から渡り舟で具志川島に渡り、具志川島を見てから伊平屋島に渡り、伊平屋島を歩いて一周したいと思っている。 |
伊是名港フェリーターミナル (仲田港) |
乗船したフェリー「ニューいぜな」 |
フェリーターミナルの「ニューいぜな」 |
伊是名精糖工場 |
伊是名小学校 |
仲田の井戸跡 |
仲田集落1 |
仲田集落2 |
シラサギ展望台から伊是名城を望む |
伊是名城への道を歩く |
伊是名城・伊是名玉御殿の前で |
伊是名玉御殿での清明祭の豪華なお供物 |
伊是名玉御殿の説明板 |
>サムレー道の入口 |
サムレー道 の案内の説明板 |
フェリーから陸ギタラと海ギタラを望む |
シラサギ展望台からギタラと海ギタラを望む |
逆光の海ギタラ |
ギタラ展望台の陸ギタラと歌碑 |
ギタラハンタ (崖の上)から船を見送る歌碑 |
伊是名神アサギと拝殿がある拝所 |
支柱が短い伊是名神アサギ |
珊瑚の石垣が続く集落の道 |
拝所の 枯れた大木のある道 |
珊瑚の石垣に囲まれた赤レンガの古民家 |
takai 高い珊瑚の石垣がある古民家の前で |
![]() ↑尚円王の親族が住んでいた古民家「銘苅家」 ![]() ↑尚円王が使用した段々の水田「逆田」 ![]() ↑内花漁港の伊平屋への渡し船桟橋 |
![]() ↑尚円王御庭の尚円王の銅像の前で ![]() ↑勢理客の赤瓦の共同浴場跡 ![]() ↑伊平屋島を望む内花の海岸で |
伊平屋島には北から田名(だな)、前泊(まえどまり)、我喜屋(がきや)、島尻(しまじり)、野甫(のほ)という5つの地区があり、
今なお神々しい伝説や遺跡、旧跡が数多く残っている。 ★田名地区には県天然記念物の「念頭平松」という樹齢500年の大きな琉球松やクマヤ洞窟(ガマ)という天の岩戸伝説がある大きな洞窟がある。 また田名岬にあるクバの木が密集しているクバ山や田名池などの自然景勝地が多い。田名岬には伊平屋島灯台がある。 ★前泊地区には伊平屋島のほぼ中央にあり、伊平屋島の玄関口であるフェリー発着ターミナルがり、近くに伊平屋村役場、消防署、伊平村民族資料館など の公共施設がある。 ★我喜屋地区にはサンゴ塀がある古民家の町並が続く我喜屋集落がある。また集落の中央に伊平屋小学校があり、周辺に拝所や神アサギなどの祭礼場所が ある。我喜屋の密集した碁盤状の集落に残るテーブルサンゴを積み重ねた高い塀垣、その内側にある大きなフクギ、古い赤瓦やセメント瓦の古民家が続く町並は 他に類が無い。こ景観を長く保存したいものである。伊平屋唯一の伊平屋酒造がある。さらに集落の南の高台に我喜屋ダムがあり、海岸近くに琉球王朝第一尚氏時代 の先祖である屋藏大王の墓である屋藏墓(やぐらばか) がある。 ★島尻地区にも神アサギなどの祭礼場所や古民家がある古い町並がある。また野甫大橋に近い所に鹿児島県と沖縄県の境界である北緯27度線が通っているが、 伊平屋島は全島沖縄県に所属する。 ★野甫地区のある野甫島は野甫大橋で伊平屋島と連結しており、野甫大橋近辺の海の色は素晴らしい。野甫島から切り出した石灰岩の角石は民家の塀垣、石畳 や我喜屋、島尻の神アサギの支柱などに使用されている。なお野甫港から伊是名行きの渡し船が出ている、 |
![]() ↑伊是名島から見た伊平屋島:左の野甫島と右の伊平屋島が野甫大橋で連ながる。最も高い山は賀陽山(がようざん) |
フェリーターミナルと虎頭岩(とらずいわ) |
仲田港ターミナルの伊平屋島案内の前で同行者を |
伊平屋村歴史民族資料館入口 |
シヌグ堂 |
念頭平松 :県指定天然記念物 |
クマヤ洞窟 (がま):県指定天然記念物 |
クマヤ洞窟の御願所:天照大神の岩戸伝説地 |
クマヤ洞窟見学後、洞窟を背に同行者と |
田名の岬のクバ山にある伊平屋島灯台灯台 |
田名の久葉山北側の海岸 |
ヤヘー岩(やへー) 今帰仁の軍勢から島を守った |
田名西海岸:シーサと遠くにヤヘイ岩 |
埋め立てられて狭くなった田名池 |
我喜屋ダムから見た我喜屋集落全景 |
我喜屋(がきや)集落がある場所は昔は海であった所で今は砂が堆積して平野を形成している。集落の中央にある伊平屋小学校の回りにはテーブルサンゴを高く積み重ねた塀垣が
連なる町並がある。またサンゴ塀の内側にフクギの樹を林立した赤瓦の古民家が残っており、他に類のない景観である。 今回、名護博物館の関連で我喜屋集落を何回か訪れ、我喜屋集落をすべて歩いて町並の形態を調査した。 中央は伊平屋小学校、左に我喜屋公民館、右に県立北部病院の伊平屋出張所や我喜屋漁港があり、遠くに伊平屋村役場などの公共の建物が見える。 中央遠方の盆地には神アサギ、ノロ殿等の祭事を行う拝所がある。左向こうの腰岳の麓には稲作水田地帯が広がり今も高架水路で水が引かれており、高台に土地神である土帝君(ふとうきー)の拝所がある。 手前左に伊平屋酒造があり、手前右側に集落唯一のやぎ小屋がある。 |
我喜屋集落のサンゴ塀が続く町並 |
集落のサンゴ塀の町並み1 フクギと赤瓦の古民家 |
集落のサンゴ塀の町並み2 連なる赤瓦の古民家 |
我喜屋集落最古の赤瓦の古民家 |
我喜屋集落最古の赤瓦の古民家の前で |
我喜屋の神あしあげ (県指定有形文化財) |
拝殿と神あしあげの間での豊年祭 |
豊年祭の踊りと三線の演奏 |
神あしあげの中での豊年祭の神事 |
拝殿に向う神を道を歩く |
伊平屋小学校 校庭の大きなガジュマルと少女 |
伊平屋島唯一の伊平屋酒造 |
我喜屋ダム (海の方から遮水板を望む) |
水田用のコンクリートの高架水路 |
土帝君(ふとうきー):中国の土地神 |
屋蔵墓 (やぐらばか):琉球王朝第一尚氏の先祖である屋藏大王の墓 |
塩尻の神しあげと古民家のある道 |
塩尻の神あしあげ (足は短い) と拝殿 |
北緯27度線の標識 |
野甫の御産土井戸(ふまーがー):村指定文化財 |
野甫の古民家 (地元の岩から切出した石の垣) |
切出した石を積んだ高い石垣のある古民家) |
我喜屋集落民家と豊年祭(2014年) |
我喜屋集落民家の調査マップ |
今と昔の我喜屋集落 |
我喜屋写真展示の前で |
我喜屋写真展示を写す少女 |
![]() ↑水納島港に到着(本部町渡久地港から高速船船で) ![]() ↑水納島裏側の海岸(クロワッサンの凹部) ![]() ↑水納島裏側の平な岩石が多い海岸、遠くは恩納村 ![]() ↑水納ビーチで戯れる子供、遠くは伊江島 |
![]() ↑水納島のイラストマップ ![]() ↑水納島港桟橋から、海水浴客で賑わう水納ビーチ ![]() ↑水納島裏側の海岸を背にして ![]() ↑水納ビーチのサンゴ礁で泳ぐ熱帯魚 |
![]() ↑瀬底大橋左側から見た瀬底島漁港方面 ![]() ↑瀬底大橋と対岸の本部方面、伊江島行きフェリーが通る ![]() ↑瀬底土帝君(せそことていくん):国指定重要文化財 ![]() ↑瀬底ビーチでマンゴーのかき氷を食べる |
![]() ↑瀬底島全体と瀬底大橋の地図 ![]() ↑古民家の家畜飼育小屋 ![]() ↑琉球石灰岩から採取したシャコガイ ![]() ↑石灰岩の上の海藻アーサーを採取中 |
![]() ↑屋我地大橋を渡り屋我地島へ ![]() ↑海水を取り込み、塩を採取する我武塩田 ![]() ↑貝、貝細工販売店の前で 向こうは古宇利島 ![]() ↑屋我海岸化石層で採取したカニのハサミ化石 ![]() ↑オランダ墓、運天港入港のフランス人の墓碑 |
![]() ↑羽地内海の干潟とマングローブ ![]() ↑済井出(すむいで)の海岸、問遠くは屋我地漁港 ![]() ↑自動刈り取り機でサトウキビを刈り取り ![]() ↑済井出海岸化石層のニ枚貝とウニの化石 ![]() ↑国立療養所沖縄愛楽園入口 |
![]() ↑屋我知島(愛楽園裏)から見た古宇利島全景 ![]() ↑古宇利大橋を古宇利島に向かって歩く ![]() ↑古宇利大橋を歩く途中で古宇利島を望む ![]() ↑古宇利島側から屋我知島を望む ![]() ↑ビーチの右側岩場の円筒状空洞地形 |
![]() ↑古宇利島全体図 ![]() ↑エメラルドグリーンの海を見ながら歩く ![]() ↑古宇利大橋を渡りきる、遠方は屋我知島 ![]() ↑古宇利島のビーチ、遠方は大宜味村 ![]() ↑繰り抜かれた円筒状空洞地形が観察できる |
![]() |
↑古宇利島を背に今帰仁村海岸より(やんばる地質見学で) |
![]() ↑平安座大橋と平安座島全景 ![]() ↑彩橋小中学校(4島統合校/旧平安座中学校) ![]() ↑平安座海岸の浜下り(はまうり)祭り ![]() ↑浜下りの魚の張り子を載乗せた御輿 ![]() ↑石油コンビナートの備蓄タンク群、右は宮城島 ![]() ↑浜比嘉島からの平安座島と浜比嘉島大橋 |
![]() ↑平安座西公園、世明の碑 ![]() ↑平安座集落の古民家 ![]() ↑平安座集落のガー(古井戸) ![]() ↑平安座漁港(金武湾港) ![]() ↑堆積地層をくり貫いた墓 ![]() ↑石油基地横道路の壁画 |
![]() ↑平安座島からみた宮城島集落、桃原橋 ![]() ↑閉校し、解体された宮城小学校と幼稚園 ![]() ↑ヤンガー(琉球王朝時代からの湧き水) ![]() ↑宮城地区の古民家 |
![]() ↑桃原地区の共同販売店への道 ![]() ↑シヌグ堂遺跡、貝塚時代竪穴住居 ![]() ↑ヤンガー使用図、神聖な水源 ![]() ↑高台の開墾地のバナナ栽培地 |
![]() ↑伊計大橋からみた伊計島 ![]() ↑大泊ビーチ、左上はコテージ伊計 ![]() ↑ヌントウチ公園の古木と拝所 ![]() ↑タバコの葉農地、専用刈り取り機 ![]() ↑仲原(なかばる)縄文時代の遺跡 |
![]() 伊計島共同スーパー、品数が多い ![]() ↑インガー(犬名河)、伊計島の水源 ![]() ↑インナガーへの石段のスズメウリ ![]() ↑伊計島北端海岸で化石採集 ![]() ↑上記地層(500万年前)の腕足類貝化石 |
![]() ↑浜比嘉島大橋、対岸は平安座島 ![]() ↑浜漁港船置場の古いサバニ ![]() ↑浜ふるさと海岸、向こうは勝連半島 ![]() ↑閉校の比嘉小学、平安座小学校に統合 ![]() ↑浜比嘉島大橋、対岸は平安座島 ![]() ↑比嘉海岸の島にあるアマミチユーの墓 |
![]() ↑浜ふるさと海岸の拝所(竜宮神) ![]() ↑月桃農園の月桃の花 ![]() ↑比嘉小学校閉校記念碑 ![]() ↑比嘉公園の拝所とガー(井戸) ![]() ↑比嘉集落のひんぷんと古民家 ![]() ↑比嘉洞窟内のシルミチュー霊場 |
![]() ↑藪地大橋と藪地島 ![]() ↑干潟が露出した藪地島海岸 ![]() ↑藪地島の南東端の海岸と堆積地層 ![]() ↑ヤシガニを抱えた外人さんと ![]() ↑ヤブチ洞窟(ジャネー洞内)遺跡入口 |
![]() ↑藪地島大橋のシーサー彫刻 ![]() ↑牛飼育地の牛達 ![]() ↑山道を歩くをヤシガニ ![]() ↑ヤシガニを近接撮影 ![]() ↑ヤブチ洞窟の屋慶名ノロの墓 |
![]() ↑久高島全島図(赤線が歩いた所) |
津堅島へはうるま市勝連の平敷屋港から高速船で15分で行く事ができ、海岸線長7Kmのほぼ長方形の島で北方には浜比嘉島、平安座島、宮城島、伊計島、西方には本島の知念岬などの
南部地域、南方には久高島が遠望できる。 津堅島はニンジンの生産が盛んであるため、キャロットアイランドの別名を持ち、今は収穫を終えた時期で褐色の広大な畑地が広がっていた。 島の西側にあるニンジンの形の展望台からの景観は素晴らしかった。 朝一番の高速船に乗り津堅島に渡り海岸線に沿って歩いて一周したが沖縄貝塚時代の遺跡など文化財も多い。津堅島は1945年の沖縄戦では激戦地であり、住民は本島に疎開したらしい。 津堅小中学校の先生は本島から通勤しており、行き帰りとも同じ船であった。 ![]() |
![]() ↑津堅漁港とフェリーターミナル ![]() ↑ニンジン畑、遠くは津堅公民館 ![]() ↑タナカ浜から勝連半島を望む ![]() ↑津堅集落のサンゴの石垣のある古民家 ![]() ↑にんじん展望台と灯台 ![]() ↑ホートゥガー(鳩が見つけた泉) |
![]() ↑灯台跡(明治29年創設の灯台で戦争破壊) ![]() ↑ニンジンの収穫(パンフレットより) ![]() ↑中の御獄(四御獄の一つで喜舎場氏の墓がある) ![]() ↑トマイ浜北側に島尻層の地層と律しい立神岩 ![]() ↑津堅小中学校 ![]() ↑マカー(鍾乳石を神体とする祠) |
久高島は南城市の安座間(あざま)港から高速船で15分で行ける。知念岬の沖合い5kmに浮かぶ海岸線長8Kmの細長い平坦な島である。
琉球の創世神アマミキヨが天から降りて来たと言われる聖地で世界文化遺産である
「斎場御嶽(せいふぁうたき)」 の拝所から拝むことができる。
久高島には御獄、拝所、殿、井戸などの聖地が散在している。 ![]() |
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![]() ↑徳仁港フェリーターミナル |
![]() ↑外間殿(ウフグイ):七つの神様を祀る |
![]() ↑久高殿(ウドゥンミャー):イザイホーの祭場、左の建物はイラブ(海蛇)の薫製小屋 |
![]() ↑大里家(ウパルトゥ):久高島最古の古民家 ![]() ↑カベール岬への道:クバ、ビロウの群生林が続く ![]() ↑イラブー(海蛇)の薫製 |
![]() ↑大里家(ウパルトゥ)の仏壇間の祭壇 ![]() ↑久高島最北端カベール岬にて ![]() ↑帰りのフェリーから久高島全島を望む |
↑奥武島全景 (左が漁港、右が奥武橋) |
↑奥武島海岸で見つけたカニ |
↑奥武島入口の標識と石碑 ↑奥武観音堂の拝所入口 ↑タカラ城の拝所と化石を含む岩 ↑てんぷら店(中本鮮魚店) |
↑奥武橋を渡る子供達 ↑奥武観音堂の入口 ↑奥武漁港の拝所 ↑奥武島ハーリー船 |