沖縄の離島歩き

与那国島 (よなぐにじま) 与那国島1 与那国島2 2017年3月27日〜30日
 与那国島は周囲27kmの日本最西端の島で、沖縄本島から約500km、台湾まで110kmです。今回石垣島で飛行機で 乗り換えて行き、3泊4日で与那国島を歩いて一周(歩行距離累計 65km)しました。 北側の馬牧場の中に『与那国飛行場』があり、南側の広大な馬牧場の中に『自衛隊駐屯地』があります。東側の馬と牛の混合牧場の東端に『東崎灯台』があります。 最西端の岬には『日本国最西端の碑』や『日本で最後に夕日が見える丘』があります。 島の地質は隆起石灰岩が一部ありますが、主に第三紀堆積岩からなります。また与那国はカジキマグロの捕獲日本一で毎年7月に『国際カジキマグロ釣り大会』が開催されます。
 今は1200人位の人口で、台湾が日本領土であった時代から10分の1に減少しています。過疎化はこの島に限った事ではないですが。 与那国島は色々な面で沖縄本島とは違うという印象をうけました。与那国島には台湾は日本領土であった時代からの台湾、中国からの移民が多く、また沖縄本島から遠い事が要因と思われます。



↑与那国島全島図 (赤線が歩いた所):約65Km

与那国空港へ  Yonaguni Kuukouhe  










 
祖 納 へ  To Sonai  










  
祖 納  Sonai  

  ティンダハナタからの祖納市街と祖納港



↑元の国泉泡盛合名会社(泡盛 どなん)
 ↑与那国町役場
 ↑与那国織: DiDi与那国交流館展示より   

  ↑DiDi与那国交流館と与那国小・中学校

 ↑十山神社



  ↑与那国小・中学校の塀の壁画の前で
      ↑三崎酒造所(泡盛 与那国)  











ティンダハナタからの祖納市街と祖納港 : Sketch by Juchi Shiny  
久 部 良 、西 崎  Kubura、Irizaki

   ↑久部良港と久部良集落

   ↑3泊した民宿「たいだん」の前で



  ↑日本最西端の碑の前で

  ↑カジキマグロが並ぶ久部良魚市場





  ↑久部良バリ





↑上原かまぼこ店のおにいさん







↑日本最西端の灯台と台湾の山: DiDi与那国交流館展示より









久部良漁港からの日本最西端の碑と灯台 : Sketch by Juchi Shiny   
南 牧 場  Minamibokujyou








南牧場内の道路を移動する与那国馬の親子






比 川  Higawa




カタブル浜 : Sketch by Juchi Shiny  

  ↑与那国馬(う)牧場





↑Dr.コトー診療所撮影地

  ↑牧草を食べる与那国馬



  ↑Dr.コトー診療所 出演俳優
↑比川集落の古民家
東 崎 岬 へ  To Agarizaki














東 崎 、東 牧 場  Agarizaki、Higashi bokuyou


















アヤミハビル館へ   To Amiruhabirukan












↑アヤミハビル館前の原っぱで戯れる子やぎ
アヤミハビル館  Amiruhabirukan






馬 鼻 崎 、北 牧 場  Umabanazaki、kita bokuyou










与那国空港から Yonaguni kuukoukara  

↑与那国空港からプロペラ機に乗る

↑鳩間島を眼下に見て石垣空港に向う  

与那国島 切手シート





波照間島 (はてるまじま) 波照間島 2019年3月20日〜22日
 波照間島は周囲15kmの八重山諸島にある人口503人の日本最南端の島です。石垣島の離島ターミナルから高速船で80分です。途中で西表島の大原港に寄港しました。 大原港から波照間島に行く途中の黒島付近で外洋にでるため、非常に波の高い所があり、帰りは低気圧の接近で大揺れでした。半年前の9月に波照間島に行く予定でしたが、 台風で船が欠航になり、西表島に変更した経緯があります。
 2泊3日で波照間島を歩いて一周 (歩行距離累計36km) しました。島は隆起珊瑚礁で形成されており、最高標高は60mでこの付近に『波照間島灯台』が立っています。河岸段丘の高台 に集落があります。南端の高那崎には『日本最南端の碑』が立っています。西表島が見渡せる高台に『コート盛』という先島諸島火番盛 (狼煙台) 跡があります。日本最南端の島故に、 すべてが『日本最南端の・・・』で、郵便局、交番、泡盛酒造所、共同売店、灯台、漁港、ビーチなどです。
 日本で一番美しいビーチと言われる『ニシ浜』の真っ白い砂浜と濃淡のブルーの海のコントラストは目を見張るものでした。また早朝の日本最南端のビーチであ『ベムチ浜』をみると 語源が<南向き>という名前の由来が理解できます。
 今の波照間島の人口は500人位ですが、共同売店が3つもあります。波照間島は八重山諸島の島ですが、高い波に遮られた外洋にあり、琉球王国時代は罪人の流刑地でした。 波照間島の語源の一つが<果ての島>とうのも納得できます。



↑波照間島全図 (赤線が歩いた所):約36Km

波照間島へ上陸 


↑高速船から見た波照間島全景


↑波照間港の岸壁の歓迎の絵


↑波照間港の高速船と乗り降りの客
ニシ浜ビーチ
トリップアドバイザー2019年選出の日本のベストビーチ


  ↑波照漁港の堤防からニシ浜ビーチを望む


  ↑ニシ浜ビーチで泳ぐ (遊ぶ) 人びと


↑波照漁港の堤防からニシ浜ビーチと海を望む


↑波照漁港の堤防からニシ浜のハテルマブルーの海

波照間製糖工場


  ↑サトウキビの精糖は今(2〜3月)が最盛期

底名溜池 (そこなためいけ) 展望台


 ↑底名溜池展望台全景


 ↑底名溜池展望台はコート盛を模倣


↑底名溜池展望台の上からの溜池と海岸線

ベムチ浜 日本最南端のビーチ


↑ベムチ浜の東方向を望む


↑ベムチ浜全景 (パノラマ写真)


↑ベムチ浜の西方向を望む


ペムチ浜東方向: Sketch by Juchi Shiny

日本最南端の地


↑日本最南端の碑の横で


↑日本最南端 平和の碑の碑


↑日本最南端の断崖を望む


↑日本最南端の断崖 (航空写真)


↑星空観測タワー





↑高那崎を望む


  ↑高那崎の断崖 (航空写真)

波照間灯台  日本最南端の灯台


↑サトウキビ畑の道を灯台に向う


↑高台にある波照間灯台全景


波照間灯台: Sketch by Juchi Shiny

コート盛 (火番盛)  西表島が見渡せる高台に狼煙台 跡


↑高台にあるコート盛 (火番盛)


↑コート盛 (火番盛) 全景


コート盛 (狼煙台): Sketch by Juchi Shiny


↑コート盛 の上 狼煙跡からの朝焼け


波照間の史跡


↑下田原城跡 城壁


↑アカハチ誕生の地


↑長田御殿跡

波照間を歩く


↑集落方面への道



↑波照間灯台への道


↑ベムチ浜への道


↑集落への上り道


↑古民家の前の道


↑コート盛 (火番盛) への道


↑デイゴの花が咲く道 (土地改良の碑)


↑サトウキビを狩る人びと (日本最南端の畑)

波照間の集落


↑古民家 1


↑古民家 2


↑古民家 3


↑名石共同売店


↑南共同売店 (日本最南端の共同売店)


↑波照間島郵便局 (日本最南端の郵便局)


↑泡波酒造所 (日本最南端の酒造所)


↑波照間中学校壁画 (日本最南端の中学校)

波照間のやぎ


↑野生のやぎの親子 (北部の水源地への道で)


↑草を食べる子やぎ





波照間島 切手シート




石垣島空港への機中より





黒 島 kuroshima:2018年3月26日〜28日  黒島1 黒島2
 黒島は周囲13kmの八重山諸島にある竹富島と西表島の間、南方にある島で、石垣島から高速船で25分の距離にある。最高高度16mの平らな島でハートの形をしており、ハートアイランドとも呼ばれる。 人口200人の10倍以上の牛が牧畜されており、牛の島として知られる。
 黒島は初めてであり、「民宿くろしま」に2泊し、皆で仲本海岸で珊瑚礁に泳ぐ熱帯魚をみたり、牛を見ながらサイクリングで島を回ったり、黒島の動物が飼育されている黒島研究所を見たりした。 私は沖縄離島歩きの一貫として、単独で黒島全島(18km)を歩いて一周した。海からの黒島灯台や伊古桟橋跡の写真を撮り、スケッチをした。歩く途中で黒島にいる野生の孔雀が飛ぶのを何度か見た。 くちた珊瑚の石垣で囲まれた延々と続く道の周りに点在する牛牧場は黒島の風景だが、道路沿いの点在する民家跡を見るにつけ、今は寂れているという印象を持った。


↑黒島全図 (赤線が歩いた所)




黒島に上陸
黒島に高速船で上陸、迎えの車で民宿へ行く

  
↑「民宿くろしま」に着く

海に入る
仲本海岸で潜り熱帯魚を見る






島を巡る
歩いて島を一周する





牧場の牛を見る











黒島灯台を見る






↑黒島灯台をスケッチ (新谷壽一作)

↑黒島灯台の前の海岸 (断崖)


比江地御獄を見る







南神山御獄を見る





喜屋武御獄を見る







野生の孔雀を見る







伊古桟橋 (いこさんばし)を見る、歩く  伊古桟橋


↑国有形文化財の標識と伊古桟橋

↑伊古桟橋を先端まで歩く、遠くに小浜島が望まれる

↑全長335mの伊古桟橋の先端に着く




↑伊古桟橋をスケッチ (新谷壽一作)


↑伊古桟橋を空より(左)


↑伊古桟橋を空より(右)    (JTA機内本より)

集落を歩く 













黒島研究所を見る  黒島研究所1 黒島研究所2























黒島を離陸
牛の島 黒島を後にする


↑民宿の人の見送りで黒島港ターミナルを離れる

   ↑遠方の黒島を後に石垣島に向う

  黒島 切手シート





西 表 島 、由 布 島 西表島 由布島




2009年6月
仲間川マングローブクルーズ マングローブとは?


  仲間川のマングローブクルーズに出発




  クルーズ船から見たマングローブ







↑サキシマオウの巨木


↑サキシマオウの前で1

↑サキシマオウの前で2


↑干潟の蟹とハゼ

↑干潟の蟹

由布島へ渡る


↑由布島 へ渡る水牛車の前で

↑水牛車で由布島 へ渡る。遠浅の海を400m

↑由布島に向う水牛車で三線をひく水牛使い

↑記念撮影用水牛の前で

↑由布島 に渡る水牛車の前で記念撮影 1

    ↑由布島 に渡る水牛車の前で記念撮影 2

↑水牛が身体を休める池

↑水牛一家への感謝の碑

↑由布島の亜熱帯植物園で

  ↑植物園の可憐な花

↑植物園の花の蜜を吸う蝶





2018年9月
浦内川ジャングルクルーズ



































  ↑カンビレーの滝のパノラマ写真

大原集落


↑大原バス停と大原創立五十周年記念
↑大原神社




  ↑大原創立五十周年記念碑


  ↑大原創立五十周年記念碑と忠魂碑のスケッチ(新谷壽一作成)


↑大原港高速船ターミナル

   ↑海岸で拾った材料で山猫人形を作成した識名さん


↑日本最南端の交通信号機
大原民宿(やまねこ)










白 浜 港







↑日本最西端のバス停






路線バスに乗って (南端終点:豊原〜西端終点:白浜)


赤線が路線バスの経路 (豊原〜白浜)


↑豊原バス停
 ↑大原バス停




↑上原港高速船ターミナル
↑白浜バス停






歩 き (白浜〜星砂の浜)















































   ↑月ケ浜のパノラマ写真







↑星砂の浜のパノラマ写真

イリオモテヤマネコ (国の天然記念物)
イリオモテヤマネコ1 イリオモテヤマネコ2 (環境省)

イリオモテヤマネコの初版本表紙 (発見者:戸川幸夫 著書)




イリオモテヤマネコのpost card (写真家:横塚眞己人 撮影)


↑樹上を移動するイリオモテヤマネコ

↑あくびをするイリオモテヤマネコ

I riomote Cat (イリオモテヤマネコBOOK) : 西表島生物保護センター発行









石 垣 島 「石垣島」


石垣島一周マップ: 赤線がレンタカーで走った所
2009年5月
2018年3月
川平 (かびら)湾


↑息を飲む程きれいな川平(かびら) 湾



↑川平湾を背に1

↑養殖した黒真珠

平久保崎灯台 (石垣島西北端)






↑平久保崎灯台のスケッチ (新谷壽一作)

ドミーのパン屋






米原海岸で潜り












エメラルドの海を見る展望台 (バンナ岳) 遠くに竹富島を望む







↑展望台から見た八重山諸島

世界の昆虫館 (バンナ公園) 






名護アンパル (ラムサール条約湿地) 








桃林寺 (とうりんじ):臨済宗錨妙心寺派








石垣市立八重山博物館

 
↑八重山博物館全景



↑波照間島前部落の獅子頭



居酒屋「うさぎや」


↑「うさぎや」の前で

↑生ビールで乾杯

↑三線歌謡ライブを聞く

↑唄に合わせて皆と踊る

ユーグレブモール、石垣市公設市場

 








離島ターミナル


↑離島ターミナル全景

 ↑離島ターミナルフェリー乗場

  ↑離島ターミナル道路を歩く

  ↑離島ターミナル 東側

↑離島ターミナルの具志堅用高の像の前で

誕生祝い&古稀祝い(2018年3月28日)




石垣牛を食べる(焼肉店 島うし)










石垣市界隈













竹 富 島 「竹富島」
2009年5月
2018年3月


↑サンゴの石垣と赤瓦の古民家群をなごみ塔の展望台から写す


↑竹富島の航空写真

↑竹富島の説明板

↑竹富島の古い町並地図

↑竹富島の標識の前で1

  ↑竹富島の標識の前で2

↑竹富島ゆがふ館(ビジターセンター)のマップ

  ↑珊瑚の垣との珊瑚の白い道が美しい道で

↑古民家の珊瑚の石垣赤上の赤い花とウリ

↑民宿「大浜荘」ハイビスカスノアーチの前で

↑赤い屋根瓦と守神シーサーがある竹富郵便局

↑竹富小・中学校の正門の前で

↑竹富小・中学校の前の花壇前で

↑町並を巡る水牛車

水牛車に乗って

   ↑水牛と皆で記念撮影

↑美女 安里屋 (美女クマヤ) 生誕の地

↑白い珊瑚の道を歩く

  ↑古民家と前で

  ↑古民家となごみの塔 (展望台)

↑なごみの塔 (展望台)への道で

↑古民家の屋根の上の守神シーサ

↑カイジハ浜に向って歩く

↑カイジハ浜で星の砂を探す


↑竹富島 切手シート



宮 古 島 「宮古島」
2011年3月末に東京都国立市から沖縄県名護市に住居を移しました。その引越船便荷物の到着の間の4日間宮古島に滞在し、宮古島(周辺の島を含む)をレンタカーで周りました。 現在橋を建設中の伊良部島、下地島や神の島大神島に行く事ができました。橋で連ながっている来間島、池間島の入口まで行きました。この期間は天気があまり良く無く、きれいな景観を見る機会が 少なかったのは心残りだが宮古島の地理、地質、歴史、風土などの概要を知る事ができました。





↑ホテルから平良港を望む
来 間 島 (くりまじま)





↑飛行機からみた来間(くりま)大橋と来間島

   ↑来間島から来間大橋を望む

東 平 安 名 崎 (ひがしへんなざき) :日本百景BR>


   宮古島観光案内の前で

↑東平安名崎灯台:日本の灯台50選

↑東平安名崎灯台より1

↑東平安名崎灯台より2

↑↓マムヤの墓

  

池 間 島 (いけまじま)




 ↑池間島全体図 (航空写真)

↑レストランの紹介新聞記事

伊 良 部 島 (いらぶじま)




 ↑白鳥崎岬





  ↑佐和田の浜
下 地 島 (しもじじま)


↑下地島空港滑走用突堤

 ↑伊良部島(左)と下地島にかかる橋

大 神 島(おおかみじま)





  ↑大神島漁港

↑農作業中の老婆

  ↑大神島展望台からみた池間島
 ↑大神島展望台からみた集落

↑海に向って祈る人

島尻断層崖と海食台









宮古島市総合博物館






















島尻のマングローブ林











砂山ビーチ











久 米 島 (くめじま) 久米島 奥武島畳石 2015年5月18日〜21日
 
 久米島は沖縄本島から西に100Kmで那覇市泊港からフェリーで4時間かかる。慶良間諸島を左に見ながら航行し、途中で渡名喜島に寄港する。 沖縄全島歩きの一貫として初めて久米島を訪れた。
 久米島は火成岩から島で東南側は山が連なり、東北側にある奥武島の畳石(亀甲石)は火山の噴火でできた#000000が波で侵食(研磨)され、 綺麗な亀の甲羅のような連続した六角面が連なったもどで、他に類のない景観で、国の天然記念物に指定されました。



↑久米島全島図 ( 赤線が歩いた所)


↑フェリーから写した久米島漁港方面
↑久米島行きフェリーからのスケッチ (新谷壽一作)

久米島に上陸






南東部を歩く


   ↑兼城農村公園の歌碑 (こはでさ節)

   ↑兼城集落の古民家

↑謝名堂漁港の漁船

↑久米島製糖工場

↑アーラ林道の大きな石

↑島尻集落へ向う

 ↑島尻の石墓

奥武島に渡る


   ↑東海岸からの奥武島のスケッチ (新谷壽一作)


   ↑奥武島入口の標識

奥武島の畳石(亀甲石) 久米島畳石
潮がひいて畳石が現われる
 


↑AM 8:42

↑AM 9:00

↑AM 9:31


↑AM 9:43 (セルフタイマー撮影)

↑AM 9:51

↑大きさ2mもある六角形状の畳石の上で AM 10:10

↑柱状節理の上端部 (断面) AM 10:22

↑畳石と福島県から来た子供達 AM 10:18

↑畳石の海で泳ぐ福島の子供


↑久米島 畳石(亀甲石)の説明板


   ↑奥武島の畳石のスケッチ (新谷壽一作)

奥武島を歩く







  ↑奥武橋

↑モズク漁船

↑海ガメ館前の浦島太郎の石像



↑対岸はオーハ島 (干潮時は歩いて渡れる

仲里集落方面を歩く


↑くるまえび養殖地 (久米島は日本一の生産地)

↑仲里漁港

昔の旧家仲村家



  ↑昔の豚飼育小屋でトイレと直結


↑仲村家の屋根のシーサー1  


↑仲村家の屋根のシーサー2


天后宮 (航海の神様を祀ったお宮)



↑仲里間切蔵元跡

↑奥武島の畳石を使用した門





↑真謝(まじゃ)のチュラフクギ





↑宇根の大ソテツ

久米の五枝 (ごえだ)の松 :国指定天然記念物

















↑具志川城跡:国指定史跡



















西南部を歩く





↑ミーフガー(子授けの拝所)













↑久米島空港




 ↑鳥島漁港
  ↑久米島から渡名喜島行きフェリーから嘉手苅集落を望む


↑久米島行きフェリーからの久米島 (新谷壽一作)<

↑久米島行きフェリーからの久米島と奥武島 (新谷壽一作)

↑久米島から渡名喜島行きフェリーからの久米島と奥武島 (新谷壽一作)


久米島の畳石(亀甲石) 久米島畳石  
 2015年5月18日から5日間かけて久米島と渡名喜島を一周しました。久米島(奥武島)の畳石(亀甲石)は火山の噴火でできた複数の柱状節理の上端部が波で侵食(研磨)され、綺麗な亀の甲羅のような連続した六角面が連なったもどで、 他に類のない景観で、昨年国の天然記念物に指定されました。
潮がひいて畳石が現われる
 


↑AM 8:42

↑AM 9:00

↑AM 9:31


↑AM 9:43 (セルフタイマー撮影)

↑AM 9:51

↑大きさ2mもある六角形状の畳石の上で AM 10:10

↑柱状節理の上端部 (断面) AM 10:22

↑畳石と福島県から来た子供達 AM 10:18

↑畳石の海で泳ぐ福島の子供


↑久米島 畳石(亀甲石)の説明板


   ↑奥武島の畳石のスケッチ (新谷壽一作)


渡 名 喜 島 (となきじま) 渡名喜島 2015年5月21日〜22日
 渡名喜島は沖縄本島の北西約60Kmで那覇市泊港からフェリーで2時間余りかかり、久米島、慶良間諸島、粟国島のほぼ中間に位置する。
久米島を歩いた帰りに渡名喜島に寄り、島をほぼ歩一周した。島には赤瓦の古民家、珊瑚の石垣、フクギが並ぶ砂道の町並が残っており、「重要伝統的建造物群保存地」に選ばれている。
集落はフェリーターミナルがある平坦な北西部に集中しており、島の南部、北部は山が多く、頂上近くにある展望台から上記の諸島がパノラマ的に見渡せる。
 また渡名喜島は2008年に作られた映画「群青:愛が沈んだ海の色」の撮影地として使われた。


. 渡名喜島全島図 (赤線が歩いた所)







↑フェーリーから見た渡名喜島西側 (新谷壽一作)
渡名喜島に上陸


↑渡名喜島港全景 (フェリーより)
























↑大本田展望台よりみた黒島、慶良間諸島(説明写真より)


↑アンジェラ浜、シュンザ、西森園地を望む

   ↑島尻崎を望む

   ↑島尻崎の海

↑麦畑、シュンザ(屏風崖)、西森園地を望む





↑島尻毛へ向う

↑島尻毛散歩道を歩く

↑島尻毛散歩道から慶良間諸島を望む















↑西森園地展望台から見た渡名喜島東側 (新谷壽一作)

 




↑サカシ散歩道で、左は港、右は入砂島





渡名喜島集落







↑一番深い家、暴雨風対策のため、高低差1m55cm

↑集落唯一の島豆腐を作る店





↑渡名喜島集落の町並(↓夜はライトアップ)



↑里御獄 14〜15世紀頃のグスク時代の遺跡

映画「 群 青 gunjou 」撮影地





↑仲村家」跡、映画「群青」の中心撮影地











粟 国 島 (あぐにじま) 粟国島1 粟国島2 2016年3月23日〜25日
 粟国島は沖縄本島から西に80Kmで那覇市泊港からフェリーで2.5時間かかる。沖縄全島歩きの一貫として昨年の久米島、渡名喜島に続いて初めて 粟国島を訪き、歩いて一周した。粟国島は火山による火山灰と溶岩と後からの琉球石灰岩から出来ており、西側には火山灰が堆積してできた白い凝灰岩 の海蝕でできた88m絶壁があり、その右側には固まった溶岩と流れた溶岩の熱で赤くなった赤茶けた火山灰が重なった地層があり、500万年前の火山活動 が残る他に類のない景観である。大潮の干潮で海面が低下した海岸を歩き、その雄大な地形を見上げことが出来た。  粟国島のトゥージ(水をため石)は ここの岩を掘抜いて作くられている。多くのトゥージを見たが、トゥージの大きさとお金持ちは比例するらしい。 また粟国島へ向う途中(ケラマ島横あたり)でザトウクジラを遠くで見る事ができた。


↑粟国島全島図 (赤線が歩いた所):約50Km 

↑粟国島全島 航空写真


↑粟国島 地層図
粟国島に上陸


↑フェリーからの凝灰岩の海食崖(88m)

↑粟国島フェリーターミナル
↑フェリー「あぐに」で粟国島に上陸

↑粟国島案内図
フェリーターミナルから引潮の海岸を歩く



東ヤマトゥガー (割岩の通路)



ヤヒジャ海岸 (東ヤマトゥガー)


↑ヤヒジャー海岸の火山地層説明板






   ↑溶岩と凝灰岩の層、遠くは海食壁

   ↑黒い溶岩と赤い凝灰岩の層

   ↑溶岩と火山の赤い灰凝灰岩の前で





  ↑凝灰岩の海食崖を背に


  ↑凝灰岩の絶壁のヒヨドリを写す
凝灰岩の丘をくり貫いたお墓





筆ん崎のマハナ展望台:凝灰海蝕壁の真上にある





 番屋跡 (遠見台) 





 バルチック艦隊発見記念碑






 洞 寺 (てら)













↑鍾乳洞内の洞寺(テラ)の拝所
 沖縄海塩研究所見学

















観 音 堂







トゥージ :凝灰岩を掘抜いた水をためる石ガメ





↑観音堂の横のトゥージ


粟国島のその他の風景


↑琉球民謡「ムンジュル節」 発祥地の像

↑運ん崎から凝灰岩海蝕壁を望む

   石灰岩が露出した長浜海岸<

↑大正池と展望台への道

  粟国島を離れる先生との分れ




↑映画「ナビーの恋」のロケ地地


↑フェリーから凝灰壁をスケッチ (新谷壽一作)



↑ザトウクジラ(子供?)のフルーク:粟国島フェリーより


伊 江 島(いえじま) 「伊江村」 「城山(塔頭)」
  伊江島は本部港からフェリーで30分で行ける周囲23kmの楕円状の平坦な島で、伊江島中央やや東に標高173mの伊江島塔頭(タッチュー)の愛称で呼ばれる<城山(ぐすくやま)があり、沖縄本島からも沖縄への飛行機からも良く見える。 伊江島は名護市街から近いので良く訪れている。タッチューはチャートという古い岩石で出来ており、非常に固くその部分が長年の侵食作用で残ったものです。 終戦直後の写真(下記)と比較すれば、この70年足らずで岩石が滑落して現在と山頂の形状が変わっていのが分かる。また伊江島より北にある伊是名島、伊平屋島にもチャートの岩場があり、この3島は昔は陸続きであったと思われる。
 今までに5回伊江島をの訪問しているが、かなりきつい階段を登ってタッチューの山頂から見た伊江島や沖縄本島のパノラマ景観は素晴らしい。伊江島を歩いて一周して名所、戦争遺跡を見学したり、タッチューが見える風景を四方から写しており、その一部を掲載する。
 
↑伊江島マップ(太い青線が歩いた道)
塔頭(タッチュー)の見える風景

↑フェリーターミナルとタッチュー

↑タッチュー登山口駐車場

↑ミンカザントウとタッチュー

↑伊江島煮し西小学校とタッチュー

↑タッチューを回る伊江島マラソン

↑伊江島飛行場(閉鎖)とタッチュー

↑水納島沖から見た伊江島

↑瀬底ビーチから見た伊江島

↑備瀬崎海岸から見た伊江島

↑タッチューをめざして歩く

↑タッチュー(城山) 頂上にて1

↑島村観光公園とタッチュー

↑芳魂の塔とタッチュー

↑ニーパンカジーズイマールとタッチュー

↑本部海岸から見た伊江島

↑公設質屋跡とタッチュー

↑公設質屋とタッチュー(終戦後写真)

↑タッチュー(城山) 頂上にて2

↑山羊小屋とタッチュー

↑風車とタッチュー

↑たばこ畑とタッチュー

↑ホースパークとタッチュー
伊江島の史跡・文化財・風景

↑リリーフィールド公園(ゆり祭り開催中)

↑マーガー(18世紀の井戸跡)

↑ニャテイヤ洞(千人洞):戦時中村民避難

↑アハシャガマ:今大戦で村民150人が自決

↑ワジー(湧出)の水源跡を展望台から見る

↑ユリ祭りのテッポウユリ

マーガー風景図(1955年頃)

昭太寺:1554年琉球国王尚清が建立

伊江島灯台:米軍演習場内

チヌィドゥタカラの家(反戦資料館)
   
神戸行きの飛行機から見た伊江島全景



伊 是 名 島(いぜなじま) 「伊是名村」 「伊是名島」 2014年
伊是名(いぜな)島は帰仁村運天港からフェリーで55分で行ける海岸線長16.7Kmの丸い島で沖縄本島と伊平屋島の間にある。伊是名島は琉球王朝第ニ尚氏時代の開祖で ある尚円王の生地であり、その遺構がいたるところにある。4月の初めに伊是名島を3泊4日で訪れ歩いて海岸線を一周したり、山道(平らな島で稲作水田が多い)縦断 して途中の名所旧跡を見たりした。また伊是名玉御殿(たまううどん)で行われた伊是名清明祭(しーみさい)を見学したが、祭壇には中国風の宮廷料理や中国製の陶器の 水注のなどが奉納されており、素晴らく豪華な物であった。




伊平屋島には北から内花(うちばな)、諸見(もろみ)、仲田(なかだ)、伊是名(いぜな)、勢理客(じっちゃく)という5つの地区があり、 各集落に古民家がある町並が残っておりおり、東南地区には尚円王ゆかりも遺構が多い。
内花地区には内花漁港があり伊平屋島、具志川島行きの渡し船乗場がある。また諸見地区の近くに尚円王が青年時代に作った枯れない水田「逆田(さかた)」がある。
諸見地区には尚円王が沖縄本島に向かって指を差す有名な銅像がある「尚円王御庭(おにわ)」があり、すぐ近くに尚円王の生誕地とされ、へその緒を埋めてある[みほそ所]、大きな神アサギ、拝殿がある。
仲田地区にはフェーリータミナルがある仲田港があり、競技場、伊是名村役場、伊是名小学校、中学校などの公共施設がある。また大型スーパーJA、診療所がある。仲田集落にはフクギ、サンゴの塀に囲まれた古民家が多く残っている。
伊是名地区には南東端の伊是名城にある尚円王子孫を祭る玉御殿や南端中央には伊是名集落にある尚円王親族の古民家[銘苅家(めかるけ)]がある。また海岸線は[陸ギタラ][海ギタラ]という奇岩や御獄がある。 伊是名の民族文化財を展示している[伊是名ふれあい民族館]がある。
勢理客地区には勢理客漁港があり、古民家も多い。小学校跡が運動場になっていた。海岸線を歩いたが海岸にウミガメ産卵に適した砂浜があった。

各集落の古民家が続く町並が残っており、サンゴへ塀は伊平屋の物より高いものもあった。 伊是名島は琉球王朝時代からの文化遺産が多い島で、伊平屋島は自然文化遺産が多い島で趣きをことにしている。現在、伊是名島から伊平屋島までは間の具志川島を経由した渡し船がある。具志川島では沖縄貝塚時代の遺跡が発掘されて おり、その遺物が伊是名ふれあい民族館に展示されていた。いつか伊是名島から渡り舟で具志川島に渡り、具志川島を見てから伊平屋島に渡り、伊平屋島を歩いて一周したいと思っている。
伊是名島へ上陸


伊是名港フェリーターミナル (仲田港)


乗船したフェリー「ニューいぜな」


フェリーターミナルの「ニューいぜな」

仲田地区


伊是名精糖工場


伊是名小学校


仲田の井戸跡


仲田集落1


仲田集落2

伊是名地区
伊是名城・伊是名玉御殿 (県有形文化財)


シラサギ展望台から伊是名城を望む


伊是名城への道を歩く


伊是名城・伊是名玉御殿の前で


伊是名玉御殿での清明祭の豪華なお供物


伊是名玉御殿の説明板

サムレー道 (史跡・名勝))


>サムレー道の入口


サムレー道 の案内の説明板

奇岩陸ギタラと海ギタラ


フェリーから陸ギタラと海ギタラを望む


シラサギ展望台からギタラと海ギタラを望む


逆光の海ギタラ


ギタラ展望台の陸ギタラと歌碑

 
  ギタラハンタ (崖の上)から船を見送る歌碑

伊是名集落


  伊是名神アサギと拝殿がある拝所


支柱が短い伊是名神アサギ


珊瑚の石垣が続く集落の道


拝所の 枯れた大木のある道


珊瑚の石垣に囲まれた赤レンガの古民家


takai 高い珊瑚の石垣がある古民家の前で



↑尚円王の親族が住んでいた古民家「銘苅家」

↑尚円王が使用した段々の水田「逆田」

↑内花漁港の伊平屋への渡し船桟橋

 
↑尚円王御庭の尚円王の銅像の前で

↑勢理客の赤瓦の共同浴場跡

↑伊平屋島を望む内花の海岸で


伊 平 屋 島 (いへやじま) 「伊平屋村」 「伊平屋島」 2013〜14年
 伊平屋(いへや)島は本部半島より北に41Kmに位置し、帰仁村運天港からフェリーで1時間20分で行ける海岸線長34.23Kmの沖縄県最北端の細長い島で、 伊平屋島は南西の野甫(のほ)島と野甫大橋で連ながっている。





伊平屋島には北から田名(だな)、前泊(まえどまり)、我喜屋(がきや)、島尻(しまじり)、野甫(のほ)という5つの地区があり、 今なお神々しい伝説や遺跡、旧跡が数多く残っている。

田名地区には県天然記念物の「念頭平松」という樹齢500年の大きな琉球松やクマヤ洞窟(ガマ)という天の岩戸伝説がある大きな洞窟がある。 また田名岬にあるクバの木が密集しているクバ山や田名池などの自然景勝地が多い。田名岬には伊平屋島灯台がある。
前泊地区には伊平屋島のほぼ中央にあり、伊平屋島の玄関口であるフェリー発着ターミナルがり、近くに伊平屋村役場、消防署、伊平村民族資料館など の公共施設がある。
我喜屋地区にはサンゴ塀がある古民家の町並が続く我喜屋集落がある。また集落の中央に伊平屋小学校があり、周辺に拝所や神アサギなどの祭礼場所が ある。我喜屋の密集した碁盤状の集落に残るテーブルサンゴを積み重ねた高い塀垣、その内側にある大きなフクギ、古い赤瓦やセメント瓦の古民家が続く町並は 他に類が無い。こ景観を長く保存したいものである。伊平屋唯一の伊平屋酒造がある。さらに集落の南の高台に我喜屋ダムがあり、海岸近くに琉球王朝第一尚氏時代 の先祖である屋藏大王の墓である屋藏墓(やぐらばか) がある。 ★島尻地区にも神アサギなどの祭礼場所や古民家がある古い町並がある。また野甫大橋に近い所に鹿児島県と沖縄県の境界である北緯27度線が通っているが、 伊平屋島は全島沖縄県に所属する。
野甫地区のある野甫島は野甫大橋で伊平屋島と連結しており、野甫大橋近辺の海の色は素晴らしい。野甫島から切り出した石灰岩の角石は民家の塀垣、石畳 や我喜屋、島尻の神アサギの支柱などに使用されている。なお野甫港から伊是名行きの渡し船が出ている、


↑伊是名島から見た伊平屋島:左の野甫島と右の伊平屋島が野甫大橋で連ながる。最も高い山は賀陽山(がようざん)

伊平屋島へ上陸


フェリーターミナルと虎頭岩(とらずいわ)


仲田港ターミナルの伊平屋島案内の前で同行者を

前 泊 (まえどまり)地区


伊平屋村歴史民族資料館入口


シヌグ堂

田 名 (だな) 地区


念頭平松 :県指定天然記念物


クマヤ洞窟 (がま):県指定天然記念物


クマヤ洞窟の御願所:天照大神の岩戸伝説地


クマヤ洞窟見学後、洞窟を背に同行者と


田名の岬のクバ山にある伊平屋島灯台灯台


田名の久葉山北側の海岸


ヤヘー岩(やへー) 今帰仁の軍勢から島を守った


田名西海岸:シーサと遠くにヤヘイ岩

田 名 池 (だないけ)と後岳


埋め立てられて狭くなった田名池

我喜屋 (がきや)地区


我喜屋ダムから見た我喜屋集落全景
 我喜屋(がきや)集落がある場所は昔は海であった所で今は砂が堆積して平野を形成している。集落の中央にある伊平屋小学校の回りにはテーブルサンゴを高く積み重ねた塀垣が 連なる町並がある。またサンゴ塀の内側にフクギの樹を林立した赤瓦の古民家が残っており、他に類のない景観である。
今回、名護博物館の関連で我喜屋集落を何回か訪れ、我喜屋集落をすべて歩いて町並の形態を調査した。
  中央は伊平屋小学校、左に我喜屋公民館、右に県立北部病院の伊平屋出張所や我喜屋漁港があり、遠くに伊平屋村役場などの公共の建物が見える。 中央遠方の盆地には神アサギ、ノロ殿等の祭事を行う拝所がある。左向こうの腰岳の麓には稲作水田地帯が広がり今も高架水路で水が引かれており、高台に土地神である土帝君(ふとうきー)の拝所がある。 手前左に伊平屋酒造があり、手前右側に集落唯一のやぎ小屋がある。   





我喜屋集落のサンゴ塀が続く町並


集落のサンゴ塀の町並み1 フクギと赤瓦の古民家


集落のサンゴ塀の町並み2 連なる赤瓦の古民家


我喜屋集落最古の赤瓦の古民家


我喜屋集落最古の赤瓦の古民家の前で


我喜屋の神あしあげ (県指定有形文化財)


拝殿と神あしあげの間での豊年祭


豊年祭の踊りと三線の演奏


神あしあげの中での豊年祭の神事


拝殿に向う神を道を歩く


伊平屋小学校 校庭の大きなガジュマルと少女


伊平屋島唯一の伊平屋酒造


我喜屋ダム (海の方から遮水板を望む)


水田用のコンクリートの高架水路


土帝君(ふとうきー):中国の土地神


屋蔵墓 (やぐらばか):琉球王朝第一尚氏の先祖である屋藏大王の墓

塩 尻 (しおじり)地区


塩尻の神しあげと古民家のある道


塩尻の神あしあげ (足は短い) と拝殿


北緯27度線の標識

野 甫 (のほ)地区

 
野甫の御産土井戸(ふまーがー):村指定文化財


野甫の古民家 (地元の岩から切出した石の垣)


切出した石を積んだ高い石垣のある古民家)

我喜屋集落写真展


我喜屋集落民家と豊年祭(2014年)


我喜屋集落民家の調査マップ


今と昔の我喜屋集落


我喜屋写真展示の前で


我喜屋写真展示を写す少女


水 納 島 (みんなじま)  「水納島1」 「水納島2」
水納島は現在住んでいる名護市から車で約25分の本部町渡久地港から高速船で15分にある珊瑚礁の島で、上から見た景観がパンのクロワッサンに似ていることから、 クロワッサンアイランドとも呼ばれます。周囲4kmの海岸線には透明度が高いきれいな海があり海水浴やダイビングで夏は大勢の人で賑わいます。水納ビーチでは珊瑚礁に群れる熱帯魚が見れます。


↑水納島港に到着(本部町渡久地港から高速船船で)

↑水納島裏側の海岸(クロワッサンの凹部)

↑水納島裏側の平な岩石が多い海岸、遠くは恩納村

↑水納ビーチで戯れる子供、遠くは伊江島

↑水納島のイラストマップ

↑水納島港桟橋から、海水浴客で賑わう水納ビーチ

↑水納島裏側の海岸を背にして

↑水納ビーチのサンゴ礁で泳ぐ熱帯魚


瀬 底 島 (せそこじま)  「瀬底島1」 「瀬底島2」
瀬底島は現在住んでいる名護市から車で約30分の本部町の島で全長762mの瀬底大橋で沖縄島とつながっています。 古宇利大橋から見た海はエメラルドグリーンの景観で、伊江島や水納島、海洋博公園が見渡せます。伊江島行きのフェリーが本部港から出ており、瀬底大橋の下を通ります。 西側に瀬底ビーチ、南側に琉球大学熱帯生物圏研究センターがあります。


↑瀬底大橋左側から見た瀬底島漁港方面

↑瀬底大橋と対岸の本部方面、伊江島行きフェリーが通る

↑瀬底土帝君(せそことていくん):国指定重要文化財

↑瀬底ビーチでマンゴーのかき氷を食べる

↑瀬底島全体と瀬底大橋の地図

↑古民家の家畜飼育小屋

↑琉球石灰岩から採取したシャコガイ

↑石灰岩の上の海藻アーサーを採取中


屋 我 知 島 (やがちじま)  「屋我地島1」 「屋我地2」
屋我地島は現在住んでいる名護市から車で約20分の所にあり、屋我地島東端は名護市真喜屋から奥武橋、奥武島(おうしま)、屋我地橋とでつながっている。屋我地島西端から古宇利島と本島今帰仁村側に 古宇利大橋とワルミ橋でそれぞれつなっており、羽地内海に浮かぶ島である。羽地内海の干潟にはマングローブが生息しており、干潟には餌を求めて渡り鳥が多数飛来する。羽地内海は潮の満ち干が大きく、 干潟では潮干狩りや海藻採りなどもできる。また潮の干満を利用して昔から塩田による塩作りは行われている。北側海岸には化石を採集できる地層もあり、家から近い事もあり良く出かけている。


↑屋我地大橋を渡り屋我地島へ

↑海水を取り込み、塩を採取する我武塩田

↑貝、貝細工販売店の前で 向こうは古宇利島

↑屋我海岸化石層で採取したカニのハサミ化石

↑オランダ墓、運天港入港のフランス人の墓碑

↑羽地内海の干潟とマングローブ

↑済井出(すむいで)の海岸、問遠くは屋我地漁港

↑自動刈り取り機でサトウキビを刈り取り

↑済井出海岸化石層のニ枚貝とウニの化石

↑国立療養所沖縄愛楽園入口


古 宇 利 島 (こうりじま)  「古宇利島1」 「古宇利島2」
古宇利島は現在住んでいる名護市から車で約40分の島で本島と屋我知(やがち)島経由で、古宇利大橋でつながっています。 古宇利大橋は約2kmと無料の橋では日本一の長さです。古宇利大橋から見た海はエメラルドグリーンの景観で、天気の良い日は目を見張るばかりのきれいさです。 古宇利島は三層の琉球石灰岩から形成されており、高台から見た古宇利島大橋、本島の景観も素晴らしいです。きれいなビーチもあり、ウニ丼を食べに橋を渡る人が多い。


↑屋我知島(愛楽園裏)から見た古宇利島全景
↑古宇利大橋を古宇利島に向かって歩く
↑古宇利大橋を歩く途中で古宇利島を望む
↑古宇利島側から屋我知島を望む
↑ビーチの右側岩場の円筒状空洞地形

↑古宇利島全体図
↑エメラルドグリーンの海を見ながら歩く
↑古宇利大橋を渡りきる、遠方は屋我知島
↑古宇利島のビーチ、遠方は大宜味村

↑繰り抜かれた円筒状空洞地形が観察できる


↑古宇利島を背に今帰仁村海岸より(やんばる地質見学で)


平安座島 (へんざじま)  「平安座島1」 「平安座島2」
平安座島はうるま市の勝連半島屋慶名(やげな)から海中道路で連ながる平安座大橋島と結ばれている周囲7kmの島です。大きな石油タンクが立ち並んでおり、宮城島、浜比嘉島とそてぞれ大橋で連ながってます。 平安座島と連ながる宮城島、伊計島、浜比嘉島の小中学校は廃校となり、平成24年4月に旧平安座小中学校が彩橋(あやはし)小中学校ととして統合された。


↑平安座大橋と平安座島全景

↑彩橋小中学校(4島統合校/旧平安座中学校)

↑平安座海岸の浜下り(はまうり)祭り

↑浜下りの魚の張り子を載乗せた御輿

↑石油コンビナートの備蓄タンク群、右は宮城島

↑浜比嘉島からの平安座島と浜比嘉島大橋

↑平安座西公園、世明の碑

↑平安座集落の古民家

↑平安座集落のガー(古井戸)

↑平安座漁港(金武湾港)

↑堆積地層をくり貫いた墓

↑石油基地横道路の壁画


宮城島 (みやぎじま)  「宮城島1」 「宮城島2」
宮城島はうるま市の勝連半島屋慶名(やげな)から海中道路で連ながる平安座島と桃原(とうばる)橋で結ばれている周囲12kmの島で、平安座島と伊計島の間にあります。 高台に開拓した農地があり、宮城島両端の低地の集落にはガー(昔の井戸)や古民家が残っています。


↑平安座島からみた宮城島集落、桃原橋

↑閉校し、解体された宮城小学校と幼稚園

↑ヤンガー(琉球王朝時代からの湧き水)

↑宮城地区の古民家

↑桃原地区の共同販売店への道

↑シヌグ堂遺跡、貝塚時代竪穴住居

↑ヤンガー使用図、神聖な水源

↑高台の開墾地のバナナ栽培地


伊計島 (いけいじま)  「伊計島1」 「伊計島2」
伊計島はうるま市の勝連半島屋慶名(やげな)から海中道路で連ながる平安座島と桃原(とうばる)橋で連ながる宮城島と伊計大橋と結ばれている周囲7.5kmの島で、東部は大平洋に面しています。 中東部の高台に開拓した農地や沖縄貝塚時代中期(縄文時代)の遺跡や海岸にはカー(伊計島唯一の水源)があります。西端の低地に集落が共同売店や古民家があります。透明度が高い伊計島ビーチや大泊ビーチがあります。 また北部の海岸に約500万年前の地層があり、化石が採取できます。


↑伊計大橋からみた伊計島
↑大泊ビーチ、左上はコテージ伊計

↑ヌントウチ公園の古木と拝所

  ↑タバコの葉農地、専用刈り取り機

↑仲原(なかばる)縄文時代の遺跡

伊計島共同スーパー、品数が多い

  ↑インガー(犬名河)、伊計島の水源

↑インナガーへの石段のスズメウリ

↑伊計島北端海岸で化石採集

↑上記地層(500万年前)の腕足類貝化石


浜比嘉島 (はまひがじま)  「浜比嘉島1」 「浜比嘉島2」
浜比嘉島はうるま市の勝連半島屋慶名(やげな)から海中道路で連ながる平安座島と浜比嘉大橋で結ばれている周囲7kmの島です。琉球神話の祖先であるアマミキヨ(アマミチュー)、シネリキヨ(シルミチュー)が祀られています。


↑浜比嘉島大橋、対岸は平安座島

↑浜漁港船置場の古いサバニ

↑浜ふるさと海岸、向こうは勝連半島

↑閉校の比嘉小学、平安座小学校に統合

↑浜比嘉島大橋、対岸は平安座島

↑比嘉海岸の島にあるアマミチユーの墓

↑浜ふるさと海岸の拝所(竜宮神)

↑月桃農園の月桃の花

↑比嘉小学校閉校記念碑

↑比嘉公園の拝所とガー(井戸)

↑比嘉集落のひんぷんと古民家

↑比嘉洞窟内のシルミチュー霊場


藪地島 (やぶちじま)  「藪地島1」 「藪地島2」
藪地島はうるま市の勝連半島屋慶名(やげな)の屋慶名東から藪地大橋で結ばれている周囲4kmの無人島(約300年は有人)です。島の高台の一部に農地、牛飼育地があり、島の南東部には 沖縄最古の6,7千年前の土器が発見されたのヤブチ洞窟(ジャネー洞内)遺跡がある。その途中の道で大きなヤシガニが車道を歩いているのを発見して驚いた。


↑藪地大橋と藪地島

↑干潟が露出した藪地島海岸

↑藪地島の南東端の海岸と堆積地層

↑ヤシガニを抱えた外人さんと

↑ヤブチ洞窟(ジャネー洞内)遺跡入口

↑藪地島大橋のシーサー彫刻

↑牛飼育地の牛達

↑山道を歩くをヤシガニ

↑ヤシガニを近接撮影

↑ヤブチ洞窟の屋慶名ノロの墓


津 堅 島(つげんじま) 「津堅島1」 「津堅島2」

↑久高島全島図(赤線が歩いた所)
 津堅島へはうるま市勝連の平敷屋港から高速船で15分で行く事ができ、海岸線長7Kmのほぼ長方形の島で北方には浜比嘉島、平安座島、宮城島、伊計島、西方には本島の知念岬などの 南部地域、南方には久高島が遠望できる。
 津堅島はニンジンの生産が盛んであるため、キャロットアイランドの別名を持ち、今は収穫を終えた時期で褐色の広大な畑地が広がっていた。 島の西側にあるニンジンの形の展望台からの景観は素晴らしかった。  朝一番の高速船に乗り津堅島に渡り海岸線に沿って歩いて一周したが沖縄貝塚時代の遺跡など文化財も多い。津堅島は1945年の沖縄戦では激戦地であり、住民は本島に疎開したらしい。   津堅小中学校の先生は本島から通勤しており、行き帰りとも同じ船であった。  


↑津堅漁港とフェリーターミナル

↑ニンジン畑、遠くは津堅公民館

↑タナカ浜から勝連半島を望む

↑津堅集落のサンゴの石垣のある古民家

↑にんじん展望台と灯台

↑ホートゥガー(鳩が見つけた泉)

↑灯台跡(明治29年創設の灯台で戦争破壊)

↑ニンジンの収穫(パンフレットより)

↑中の御獄(四御獄の一つで喜舎場氏の墓がある)

↑トマイ浜北側に島尻層の地層と律しい立神岩

↑津堅小中学校

↑マカー(鍾乳石を神体とする祠)


久 高 島(くだかじま) 「久高島1」 「久高島2」 「久高島3」
 久高島は南城市の安座間(あざま)港から高速船で15分で行ける。知念岬の沖合い5kmに浮かぶ海岸線長8Kmの細長い平坦な島である。 琉球の創世神アマミキヨが天から降りて来たと言われる聖地で世界文化遺産である 「斎場御嶽(せいふぁうたき)」 の拝所から拝むことができる。 久高島には御獄、拝所、殿、井戸などの聖地が散在している。
↑久高島全島図(赤線が歩いた所)
 

↑徳仁港フェリーターミナル

  ↑外間殿(ウフグイ):七つの神様を祀る

↑久高殿(ウドゥンミャー):イザイホーの祭場、左の建物はイラブ(海蛇)の薫製小屋

↑大里家(ウパルトゥ):久高島最古の古民家

↑カベール岬への道:クバ、ビロウの群生林が続く

↑イラブー(海蛇)の薫製

↑大里家(ウパルトゥ)の仏壇間の祭壇

  ↑久高島最北端カベール岬にて

  ↑帰りのフェリーから久高島全島を望む


奥武島 (おうじま):南城市 「奥武島1」 「奥武島2」
奥武島は南城市の玉城にあり、沖縄本島と奥武橋で結ばれている。周囲1.7kmの小さな島で、島の中央に奥武観音堂、玉城按司、タカラ城やいくつかの拝所がある。 また有名な沖縄てんぷら店には観光客が列を作ってならんでいる。


↑奥武島全景 (左が漁港、右が奥武橋)

   ↑奥武島海岸で見つけたカニ

↑奥武島入口の標識と石碑

↑奥武観音堂の拝所入口

↑タカラ城の拝所と化石を含む岩

↑てんぷら店(中本鮮魚店)

↑奥武橋を渡る子供達
 
↑奥武観音堂の入口

↑奥武漁港の拝所

↑奥武島ハーリー船

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