#000000 沖縄の城址
沖縄の城址
首里城 :世界遺産 「首里城1」 「首里城2」 「首里城」      


世界遺産(園比屋武御獄石門)の標識の前で   
世界遺産

「琉球王国のグスクおよび関連遺産群」

「首里城」
(しゅり)

首里城は、三山時代は中山国王の居城であったが、琉球王国統一後は琉球国王の居城として王国の政治・外交・文化の中心的役割を果たした。


↑首里城全図

↑歓会(かんかい)門への路

↑刻(ろうこく)門への路

↑ 広福門の広場から那覇市街を望む、右は久慶門

↑久慶(きゅうけい)門 女性の通用門


↑歓会(かんかい)門 第一の正門

↑ 瑞泉(ずいせん)門 第二の正門

↑漏刻(ろうこく)門 第三の正門

↑広福(こうふく)門 第四の正門

↑奉神(ほうしん)門 正殿に入る最終門


↑首里城正殿(左側が漆の塗り直し工事中)  
 


↑首里城正殿前の修学旅行生

 
↑首里城正殿の配置図


↑首里城正殿の前で


↑首里城正殿 と北殿  


   ↑正殿屋根の竜の彫刻(中央)

↑正殿2階にある国王の玉座



↑守礼門への路の沖縄衣装の女性


"   ↑正殿屋根の竜の彫刻(右側)

↑宝石を散りばめた国王の王冠

守礼門を背に

首里城炎上 2019年(令和元年)10月31日


" 炎上中の首里城本殿

今帰仁城 :世界遺産 「世界遺産 今帰仁城跡」 「今帰仁城跡」     


世界遺産の標識と今帰仁城の外郭を背にして  

世界遺産

「琉球王国のグスク
および関連遺産群
「今帰仁城跡」
(なきじん)

琉球に統一王朝が樹立される直前の北山を治めた国王の居城。北山を討伐した護佐丸が今帰仁城主となる。


↑今帰仁城入口の標識

↑曲線形状の優雅な今帰仁城跡外郭を背に

↑主郭跡を目指して石段を登る

↑今帰仁グスク桜まつりの日に

↑ 城壁前石に露出したアンモナイト化石の横で


↑火の神の拝所

↑平郎門 入口で(S38年に修復)

↑主郭跡にある拝所

↑主郭跡から珊瑚礁の東シナ海を望む

城壁前石のアンモナイト化石

中城城 :世界遺産 「世界遺産 中城城跡」 「沖縄世界遺産」     


世界遺産の標識と中城城跡を背にして   

世界遺産

「琉球王国のグスク
および関連遺産群
「中城城跡」
(なかぐすく)

琉球王国成立当初の有力者「護佐丸」最期の城。国王に最後まで抵抗した阿麻和利は、 国王の重臣で中城に居城した護佐丸を滅ぼし、さらに王権の奪取をめざして国王の居城である首里城を攻めたが大敗して滅びた。


↑正門前の中城城跡の標識

↑正門(一の郭入口)

↑発掘中の一の郭跡

↑二の郭で 右遠方一の郭との通用門

↑三の郭

↑三の郭への裏門

↑北の郭から大井戸への階段

↑南の郭の首里城遥拝所


↑中城城址の全体図
↑南の郭と一の郭の通用門

↑正殿跡

↑二の郭と忠魂碑

↑北の郭から三の郭への階段

↑三の郭の壁面と裏門

↑南の郭の久高島遥拝所

↑南の郭外壁下のガンジャーガマ

座喜味城 :世界遺産 「座喜味城跡」    


座喜味城跡の世界遺産の標識の横で  
世界遺産

「琉球王国のグスク
および関連遺産群
「座喜味城跡」
(ざきみ)

建築家としても名高い護佐丸によって築かれた城。北山(今帰仁城)が滅びた後も、琉球王国成立の初期に 国家権力の安定に重要な役割を果たした。   


↑座喜味城跡全景 遠くは二の郭城門

↑二の郭城門のアーチの下で

↑二の郭城門から一の郭を望む

↑一の郭の城壁と読谷村の町並

↑座喜味城跡入口前の高倉で


↑座喜味城跡の看板と二の郭の城壁

↑二の郭の城門と入り込んだ城門

  ↑一の郭城門でポーズする隼人と茜音

↑一の郭建物跡の礎石

↑一の郭の城壁と読谷村の町並

 
↑一の郭城門アーチ中央のくさび石

↑一の郭城門への階段で

↑二の郭郭城門への階段で1

↑二の郭郭城門への階段で2

勝連城 :世界遺産 「世界遺産 勝連城跡」 「勝連城跡」     


標識横にて、四の郭から三の郭を望む 

「勝連城跡」
(かつれん)

国王に最後まで抵抗した阿麻和利の居城。阿麻和利は、国王の重臣で中城に居城した護佐丸を滅ぼし、 さらに国王の居城である首里城を攻めたが大敗して滅びた。   


  ↑勝連城跡全景

↑三の郭への階段から金武湾を望む

↑ニの郭の舎殿跡、支柱基礎石(褐色)

↑一の郭から平安座島と浜比嘉島を望む

↑勝連城の守護神の拝所 (ウシヌガマ)


↑勝連城の全体復元模型

↑三の郭からみた二の郭、一の郭の城壁

↑一の郭からうるま市街を望む

↑一の郭から中城湾を望む

↑古井戸跡(ウタミンガー)


↑勝連城跡の世界遺産碑


↑三の郭から二の郭、一の郭へ

↑勝連城跡登り口の標識

↑三、一の郭城門のアーチ石の説明

知念城跡   「知念城跡」  

  ↑知念城跡の正門 標識の横で

↑知念城跡内側からみた城壁

↑知念城跡登口の知念大川拝所で祈る人 

↑知念城跡 正門

↑知念城跡 内部

↑知念城跡 拝所

安慶名城跡 (あげなぐすくあと) 「安慶名城跡」  

  ↑安慶名城跡登り口

↑城壁内側  

↑城壁外側 

↑登り階段

↑拝所と内部入口

↑安慶名宇志仁大主(うしじうふぬし)の墓

具志川城跡 (ぐしかわぐすくあと):糸満市 「具志川城跡」  

↑具志川城跡 入口の標識

 ↑具志川城跡 二の曲輪の遺構

↑具志川城跡 断崖に建つ城壁

↑具志川城跡 城門への道 

↑具志川城跡  曲線状の城壁 (内側)

↑具志川城跡 一の曲輪から海を望む

根謝名城跡 (ねろめぐすく):大宜味村   「根謝名城跡」  

  ↑神アサギトアサギ庭 (マー)

↑按司墓 (アジバカ)

↑大城御獄 (ウブグシクウタキ) 

↑地頭火の神 (ジトウヒノカミ)

↑中城御獄 (ナカグシクウタキ)

↑仲庭 (ナカマー):ノロの馬をつないだ所

具志川城跡 (ぐしかわぐすくあと):久米島 「具志川城跡」  

↑具志川城跡 前の道路から見た全景

"  ↑具志川城跡 登り口の標識

↑具志川城跡 四の郭跡から三の郭跡へ

↑具志川城跡 三の郭跡とニの郭跡(奥)

↑具志川城全体配置図


↑具志川城跡 説明碑、歌碑

↑城門 への階段と城壁


↑具志川城跡 海側から見た

名護城跡  「名護城」 「名護城」





















 

  名護城跡の神アサギのある広場

名護城 配置図























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