沖縄の街、集落
  名 護 市 街 「名護市」
現在住んでいる名護市は沖縄北部の中心地で自然が残っているやんばるの入口の街です。名護十字路を中心とした古い町並と国道58号線バイバス沿いの21世紀公園などの 新しい市街があります。また昔は島であった本部と本島が連ながって出来た名護湾は豊かな海の幸をもたらし、素晴らしい景観を見せてくれます。

名護市市街全体の風景


名護市内航空写真(赤丸が住居場所)



万国津梁館から名護名護市街を望む 名護市街は昔は海峡であった


名護城から名護湾と市街を望む


名護湾から東江方面のにじを撮影:2012年7月28日


名護湾の夕焼け

名護マップ(タウンガイド)



名護マップ2(宮里、大南、港)




21世紀ビーチ周辺の風景











海開きのミス名護





手造りサバニー (21世紀ビーチの海開きで)




堤防から名護漁港への風景








名護港前の釣り場

名護マップ2 (大中、城、大東、東江)




名護漁港の風景





海の感謝祭の漁船


名護漁港(セリ市場に並べられた魚介類)













名護市山入端の海






 ブセナ海中公園(海中展望塔)







名護の文化財
名護城跡  「名護城」





















 

  名護城跡の神アサギのある広場

名護城 配置図























名護さくら祭り

名護さくら祭り












名護のひんぷんガジュマル ひんぷんガジュマル    
 名護市の旧市街の名護十字路と名護博物館の中間地の旧道の真ん中に高さ19m、推定樹齢300年の大木が「ひんぷんガジュマル」がある。 「ひんぷん」とは屋敷の正門と家屋の間に設けられた屏風風の塀で外からの目隠しや悪霊を防ぐものと言われ、 その容姿は名護の街のひんぷんとしての役割を担っており、ひんぷんガジュマルは1997年に国の天然記念物に指定されている。 乾隆15年(1750年)具志頭親方蔡温は、当時の運河開通論と王府の名護移遷論議を鎮圧するため、「三府龍脈碑」を建てた。その碑が幸地川から発見され 名護博物館に所蔵されており、県の有形文化財にしていされている。


↑ひんぷんガジュマル (西側:幸地川下流側から見た) 右は「あなだばし」











↑ガジュマル (南側:名護博物館側から)

↑ガジュマル (北側:名護十字路側から)

↑ 三府龍脈碑 (レプリカ)の前で

↑昔のガジュマル(1924年:坂口氏撮影)


  ↑ガジュマル (東側:幸地川上流から)

↑ひんぷんガジュマル (下幹部)

↑ 三府龍脈碑 (名護博物館所蔵)

↑昔のガジュマル(1949年撮影)

宮里前の御嶽のハスノハギリ林  宮里前の御嶽のハスノハギリ林















   











名護の御獄(うたき)  

名護城址
↑名護城公園入口(階段に桜並木)


↑名護城内の拝殿

↑名護城(なんぐしく)の主郭址

↑名護城の説明看板

宮里公民館前御獄
↑公民館前の御獄と
フクロウがとまる木々
・名護のフクロウ



↑公民館前の御獄

↑宮里公民館

↑公民館でのみやざとまつり

宮里前の御獄  
宮里前のハスノハギリ林にある御獄

↑ハスノハギリ林の説明看板
↑御獄の入口

↑御獄(拝殿)

屋 部 (やぶ)
屋部市街










古い街並み、古民家







久護家 沖縄県有形文化財 久護家




























凌雲院 (屋部寺) 
名護市の近くの屋部にある凌雲院(屋部寺)にた。家から20分くらいで屋部の高台にあり、フク木に囲まれたこじんまりした寺院である。






















安 和、山入端 (あわ、やまのは)
安和神社




安和石灰石採掘


琉球セメント安和工場


琉球石灰石採掘地層

安和の石橋 (名護市文化財) 「安和の石橋」



















山入端の街


山入端神社


山入端公民館のガジュマル

勝 山 (かつやま)
































備 瀬 崎 (びせざき)    「備瀬崎」
備瀬崎は本部半島の最北端にあり、備瀬崎はフクギ林に囲まれており、集落を風、潮などから守っています。備瀬崎の海は透明度が高く、 海岸からでも珊瑚や熱帯魚が見れます。また大潮の干潮時には干潟ができ、遠くの環礁まで歩く事ができ多くの海性生物や珊瑚礁、熱帯魚、海草などが観察できます。



 


 

備瀬のフクギ並木 備瀬のフクギ並木


 


 


 



 


 


 


 

備瀬崎の灯台


 


 


 

備瀬崎から伊江島を望む


 


 




↑フクギ並木の入口 左は観光牛車

↑備瀬崎のきれいな海 サンゴと熱帯魚がすぐ近くでみられる

↑珊瑚と熱帯魚

↑環礁の板状珊瑚群

↑備瀬のフクギ並木

↑珊瑚礁の谷間の青い海
干潟の生き物たち

↑穴に潜った 小さなシャコガイ

↑鮮やかな真っ赤なヤドカリ

↑顔を出したヒトデ

   ↑珍しい容姿のエビ

   ↑毛におう被われたカニ

↑クモヒトデとナマコ  

今 泊 (いまどまり)
今泊公民館




今泊集落から今帰城への地図




今泊豊年祭






















今泊集落を歩く




























ハンダ道を歩く








































運 天 (うんてん)

運天展望台より見た屋我地島




運天散策道




源為朝公上陸の碑




百按司墓




薩摩藩士の墓







運天港ターミナル
















運天港ターミナルからの遠望


古宇利島大橋


   ワルミ大橋と屋我地島

運天の貝化石層





  名護博物館の北部地質巡検で




諸志 (しょし)

佐田浜の海
















赤墓 (あかばか)













喜 如 嘉 (きじょか) 「芭蕉布の里」 「芭蕉布会館」  
 現在住んでいる名護市から北へ約25Kmの所に喜如嘉(きじょか)という集落があります。その集落は沖縄では最も古い織物である芭蕉布(ばしょうふ)の唯一の産地でその手法は 国指定の無形文化財になっています。 大宜味村芭蕉布会館で芭蕉布製品の展示、販売や製造工程のビデオ上映がされています。また喜如嘉共同売店では93才のおばあちゃんの手作りの 餅が販売されており、近くの作業場を訪れ色々な話を聞きました。



喜如嘉集落入口標識と喜如嘉貝塚跡

喜如嘉貝塚跡







赤レンガの古民家








古民家 と糸芭蕉の木

ぶながや陶房


「ぶながや陶房」入口








ぶながや、頭髪に芭蕉糸を使用








ぶながや陶房(古民家)の前で

芭蕉布会館











完成した芭蕉糸


完成した芭蕉布


「芭蕉布」製造工程写真













芭蕉糸の原木の糸芭蕉の木







嵩原餅店を尋ねる (2011年10月28日)







嵩原餅店のおばあちゃん(当時93歳で現役)








嵩原餅店で買った餅を食べる

喜如嘉共同売店




喜如嘉海岸の板干瀬 (ビーチロック)







与 那 (よな)  「与那の道の移り変わり」
新与那トンネル





与那 〜伊地間の道路の変遷 :与那高坂(赤色)、現在の道路(黒色)


新与那トンネル南口

与那集落





藤の花と古民家


ドラゴンフルーツと古民家


拝所 (寄り上げ森 七福神)


與那節の碑


与那共同店

与那集落への道







宜 名 真 (ぎなま)


R58の宜名真の入口の標識


宜名真漁港入口の標識


宜名真沖で遭難したイギリス船のイカリ



宜名真漁港と干したシイラ


漁港でシイラを干す女性






宜名真漁港の北国小学生の壁画






シイラを解体、切り出し作業する人びと






宜名真沖で遭難したイギリス人の墓(オランダ墓)






宜名真公民館、共同店

奥 集 落 (おくしゅうらく) 「奥集落」


神社がある高台からの奥集落全景


  奥集落の航空写真

トトロが迎える古民家










集落を歩く














古民家と野菜畑


沖縄本島最北端の奥小学校

高台の神社にある御獄




ヤンバルの里、奥交流館





奥交流館の捕獲した猪の歯

最古(100年)の奥共同店








奥共同館の説明看板

国道58号線の起点地







安 田 (あだ) 「安田の神アシャギ」


瀬嵩崎灯台から安田集落と安田海岸を望む


拝所のある広場


拝所と平和の塔



国重要無形文化財「シヌグ」の説明看板


神アサギ



ヤンバルクイーナ救命救急センターの前で









生態展示学習施設のヤンバルクイーナ


生態展示学習施設のヤンバルクイーナ(子供)















安 波 (あは) 「安波集落」 「沖縄やんばる海水揚水発電所」


阿波川沿いにある安波節の碑


ひんぷんのある古民家


売出し中の古民家


パイナップル畑とハブ注意の看板<


畑と老人



安波川橋のヤンバルクイーナの絵<


安波小学校


やんばる学びお森の入口<



安波タナガーグムイ植物群落<


水と緑の里の記念碑

新川ダムと福地ダムと安波ダムの配置図




沖縄やんばる海水揚水発電所(実証プラント)


沖縄やんばる海水揚水発電所全景


海水揚水発電所の説明図





沖縄やんばる海水揚水発電所

天 仁 屋(てにや) 「天仁屋バン崎」  
 現在住んでいる名護市街から約20Kmの東海岸に天仁屋(てにや)という集落があります。天仁屋海岸からさらに2Kmのバン崎に新生代始新世の5千5百万年前の嘉陽層が露出しており、 上下逆転した曲がりくねった褶曲地層(国指定天然記念物)を見る事ができます。途中に岩が海にはり出している所が数カ所あり、大潮の引潮時にのみ行く事ができます。その地層は砂岩、泥岩が3千mの深海に堆積したもので、海底を生物が這い回った跡である生痕化石が見られます。

天仁屋集落の神アサギ








神アサギ


神アサギ横の拝所

天仁屋ウッカーヌビジュル(川の中の神体)













天仁屋崎


天仁屋海岸、向こうは天仁屋崎


天仁屋崎突端を望む


天仁屋崎の拝所


天仁屋崎の拝所からバン崎を望む

バン崎の褶曲地層


国指定天然記念物「嘉陽層の褶曲」説明看板









天仁屋崎からバン崎を望む


天仁屋海岸とバン崎


パン崎まで続く断崖 潮がひいた時にしか パン崎まで行けない


バン崎の直角曲がり地層


バン崎の直角曲がり地層の前で


交錯した褶曲地層 


バン崎のS字褶曲地層の前で1


バン崎のS字褶曲地層の前で2


バン崎の突端近辺の褶曲地層


バン崎の突端、遠くは嘉陽海岸

天仁屋集落マップ(名護博物館 山学校 T氏作)




底 仁 屋(そこにや) 「天仁屋バン崎」  
底仁屋では嘉陽層褶曲(国指定天然記念物)の断層が観察できます。また底仁屋集落の入口には名護市指定の天然記念物である樹齢250年の御神松(リュウキュウマツ)が見られます。

御神松(リュウキュウマツ)
















底仁屋の褶曲(国指定天然記念物)










黙々100年塾「蔓草庵」:島袋正敏氏宅















底仁屋地区会館、文化祭




























天仁屋小学校跡




底仁屋集落








底仁屋の古民家と花壇

底仁屋集落マップ(名護博物館 山学校 T氏作)




嘉 陽 (かよう)
嘉陽集落 








拝 所

東京オリンピック聖火記念碑









嘉陽小中学の跡













嘉陽海岸、 遠くはパン崎













嘉陽層の付加体地層 (新生代始新世5千5百万年前の)


パン崎まで続く断崖  パン崎の近くまで歩いて行ける


嘉陽層の断崖を見学する学生


嘉陽層の地層


嘉陽層の褶曲地層

生痕化石 (海底を這い回った生物の痕跡)







嘉陽共同店




安 部 (あぶ)
安部集落







安部海岸


安部海岸への道


安部海岸 先端はギミ崎

嘉陽層の地層










生痕化石




有孔虫の化石













汀 間 (ていま)





汀間神社


汀間の拝所      













汀間漁港



汀間川地区会館



汀間川河口の堆積地層


汀間海岸の褶曲した岩の転石

大 浦 (おおうら)  


大浦アサギ庭(みゃー)

ガジュマル (天然記念物)










大浦集落センターと拝殿




津波襲来の碑




大浦集落の古民家













大浦のイチョウ










大浦のマングローブ林
















わんさか大浦パーク




大浦共同売店




二 見 (ふたみ)
二見情話の里










沖縄県観光闘牛場 (闘牛場は解体され、太陽光発電施設が置かれている)
















仲尾次 (なかおし)


仲尾次公民館


仲尾次農村公園



親川又(古浴場跡)









拝 所






アサギ


拝所の概要説明版



古民家

久志区体育館前のガジュル




久志按司御位牌安置所







祝女殿内







久志の観音堂 (市指定文化財)































久志の観光案内




許田(きょだ)  「許田の手水」  「デイゴ」
名護市許田は沖縄高速道路の北の終点である許田インタチェンジがある。 入り江に港があり琉球王国時代には、北の帰港地として栄えた。集落には「許田の手水」「後の御獄」の文化財がある。 許田集落から名護市街寄りの58号線の名護七曲がりの旧道沿いに「道の駅許田」があり、5月頃にその敷地内に沖縄の県花である 「 デイゴ」が真っ赤な花を咲かせる。

許田漁港










許田の手水 (名護市指定文化財)
















後の御獄と許田市街
















許田川と許田増圧ポンプ場







「道の駅許田」の敷地内のデイゴ(沖縄県花)    



コ ザ (沖繩市) 2011年8月 「コザ白人街」  
 コザ(沖縄市)で全島エーサ−大会が開かれた時に、胡屋(ごや)十字路周りの戦後の米軍統治時代の英語看板が目立つ商店、娯楽施設の一部を見る事ができた。 また胡屋十字路の大通りは米軍戦車が通った道路であり、道幅は驚く程広く片側4車線位はある。コザは戦後の米軍統治時代の風景を今に残している唯一の街である。



胡屋(ごや)十字路 、米軍戦車道路








米人向け横文字看板の商店1






両替えセンター(左)と喫茶店





バイク店の大型オートバイク



コザ歴史資料館のある道






BC通りのアーケード街


BC通りのレストラン「ニューヨーク」


レストラン「ニューヨーク」の前で1


レストラン「ニューヨーク」の前で2







沖縄全島エーサーまつり (陸上競技場)








名護市城(グスク)青年家会のエーサー


スタンドの観覧席の前で1


スタンドの観覧席の前で2


エーサー踊り終えた外国人の前で

兼 箇 段 (かねかだん) 2012年10月
 うるま市にウタキに護られたカネカダンんという小さな集落がある。名護博物館の「秋の散策」で初めて訪れた。兼箇段がある具志川市は本島北部の産地と南部の丘陵地形 の接点になっており、兼箇段集落は標高50m位の国頭レキ層からなる段状の小高い丘になっている。兼箇段集落は神々が宿るウタキ、祭祈場、古い琉球家屋、古墓、井戸など昔の風情を 残している。集落の上に琉球石灰岩からなる拝所(ウタキ)がある兼箇段グスク(標高84m)がある。兼箇段獅子舞は集落に住む小中学生で神事に舞が演じられる。



琉球王国時代の兼箇段集落の復元図



兼箇段集会所(獅子舞練習場)


兼箇段集会所(獅子舞練習場)







西大屋の古井戸と古壷


イリフウヤ(西大屋)


十九三窯 (とくさんがま)


仲門小のフール(豚小屋兼トイレ)


ナカジョウグワ(仲門小)










カンサギ(神アシャギ)の中の拝殿


シーシヤ(獅子屋)保存の獅子頭


アシビナ(殿遊庭)拝所・火の神



神アシャギ (カンサギ)の拝所の前の広場で


神アシャギ (カンサギ)の拝所






クニヌシの墓(兼箇段グスクの西側)





ジョーミーチャー(3門口の墓)






ウブガー(産井戸)


カネカダンウテ(兼箇段王主の墓)


二ガン(門中)

美浜アメリカンビレッジ(北谷町) 2011年 アメリカンビレッジ












































沖縄コンベンションセンター(宜野湾町) 2011年 沖縄コンベンションセンター












































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