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吾輩の日記!(2014年) …天国からのメセージ
 吾輩が天国(こちら)へ来てから12回目の正月である2014年が明けた。今年は飼い主が沖縄県名護市に来て3回目の正月である。昨年は6月まではブセナリーゾート(ホテル)の清掃の仕事を 週2回程度しており7月から名護市の博物館近くの沖縄貝塚時代後期(1000〜1500年前)の遺跡の発掘の仕事をしている。今までは古生物(化石)の発掘をしていたが、遺跡の発掘は初め てである。 昨年は沖縄本島を通る台風は無く平穏な年であった。両親の法事で神戸、美川(石川県)と2度本土に行った。
 2年目の農園だが、行く頻度が少なくなり、収獲した野菜の種類も減ったが、うりずん、おくら、さといも、うこん、しょうがなどを収獲した。
 やんばるの集落の調査で沖縄最北端の伊平屋島へ行く機会があった。我喜屋には碁盤の目のような集落があり、赤瓦やセメント瓦の屋根で平たい珊瑚の塀垣に囲まれた古民家が多数あり、珊瑚塀垣の内側 にふくぎを配した民家も残っている。平たいテーブル珊瑚の塀垣は珍しい。
 沖縄の基地問題はようやく動き始めたようだ。今年は辺野古が争点の名護市長戦選挙が一月にあり、昨年末から名護市も騒がしくなってきている、名護を2分した戦になるだろう、、、、  昨年の2月に名護球場での日本ハムのキャンプで駐車場整理のアルバイトをしていた、日本ハムは散々の成績だったが、今年は大谷の活躍により浮上する事を期待したい。 また今年大リ−グのヤンキースに渡った田中投手の活躍は素晴らしいですね。ミスを修正する冷静さと三振をとれる多才な変化球コントロールを持ちあわせています。 連勝記録をどこまで延ばせるか楽しみです。アメリカでは通用しないと思っていたのですが、、、、、  
 

2014年
1月1日


↑名護市庁舎へ 屋上からみた元日の朝焼け

56体のシーサーが置かれた(国道58号線側)
 「シーサー」は吾輩に同族のライオン(獅子)の顔を持っている守り神で2体(雄と雌)が沖縄の家の入口や古民家の屋根に設置されている。 中国伝来で日本の神社の「狛犬」も同じである。そのルーツは4000年前のエジプトのピラミッドを守る スフィンクス である。
 名護市庁舎のシーサーは56体あるが、そのいわれは市町村が合併して名護市ができた時の区が55あり、新市庁舎を加えてシーサーを56体としたことにあり、 56人の職人により作られた 56体のシーサー は多種多様で吾輩とあまり似ていないものもあるようだ。

2014年
5月16日

 5月の中旬ですが沖縄は梅雨に入り雨模様の日が続いています。昨年の7月から始めた遺跡発掘作業の仕事はこの3月で終わりました。発掘場所は名護博物館周辺の沖縄貝塚時代中期の「溝原(みぞまる)貝塚」です。 沖縄には本土でいう「縄文時代」「弥生時代」という呼称はなく平安時代あたりまでを「沖縄貝塚時代と」呼び、4つの期に分類されています。現名護博物の地には琉球王国時代は名護間切(まぎり)と呼ばれた現在でいえば名護市役所がありました。 その隣に明治維新以降には国頭村役場が置かれ沖縄北部の中心地でした。名護博物館の地は「名護間切」→「名護村役場」→「名護市役所」→「名護博物館」と変遷しており、この3月に名護博物館40周年の記念式典がありました。 新名護博物館の計画がありますが、その実現に時間を費やしています。
 4月の初めに沖縄本島北部の
伊是名島(いぜなじま)を歩いて4日かけて一周しました。琉球第2王朝の始祖である「尚円王(しょうえんおう)」の 生地があり、関連した遺跡が各地にあります。
昨年何回か訪れた伊平屋島(いへやじま)と沖縄本島の間にあり、渡し船で行けます。


↑伊平屋島 我喜屋集落赤瓦の古民家の前で

↑伊是名島 古民家前の高いサンゴの塀の前で
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