「2002年の日記」
吾輩の日記!(2001年)
 2001年1月1日。21世紀のスタートだ! 吾輩は20世紀から21世紀の変わり目を生き抜いた。飼い主は20世紀末の終戦後からの急激な日本経済の 上昇とバブルが弾けてからの混乱を体験している。吾輩は最後の5年しか世の中を知らない。21世紀はその修復と改革の世紀であるそうだ。飼い主や吾輩の 行動や思いを今日から日記に記録することにした。 
 

平成13年
2001年
1月1日

  2001年1月1日0時0分、21世紀のスタート。吾輩には何も昨日と変わらないが、何か騒がしい。 除夜の鐘なるものが鳴ったり、外は 豊川稲荷 に 向かう車の音で騒がしい。皆が遅くまで起きており、部屋が明るくて寝れない、、とは言っても吾輩には昼と夜の区別はあまりないが?。 朝からテレビは相変わらず騒がしいが、今日は新聞の量も多い。 新聞の中身は分からないが、吾輩のシーツの下に敷くのにお世話になっている。 飼い主は朝から何かをみているが、それは年賀状というもので、年の初めの挨拶のはがきで、飼い主も毎年沢山出しており、年末には慌ただしく パソコンで作っていたようだ。最近は会社関係よりも化石関係が多いそうだ。その内、新聞も年賀状もパソコンのメールやホームぺージ(以下HP)で 配信するようになり、紙類は少なくなるそうだ。これは、地球資源を守る為には良いことだと思う。

2001年
1月3日

 昨日と今日は飼い主は家にいない。後で分かったことだが、石川県の実家に奥さんといったらしい。実家には飼いの両親がおり、正月には毎年行っている。 冬は雪が降るので、マイカーでは無く、名古屋から高速バスを利用すことが多いそうだ。吾輩もこの北陸道で生後1ヶ月位に金沢から豊川まで連れてこられ たそうだが、その記憶は無い。

2001年
2月

 最近、飼い主は会社から帰ってからや休みの日にパソコンの前に座っていることが多いようだ。 時々飼い主の膝に乗ろうとするが、すぐに降ろして 相手にしてくれない。仕方なく後からしぐさを観察しており、その状況を以下に記載する。
飼い主は「瑞浪市化石博物館の友の会」に入っており、最近依頼されて友の会のHPを作っている。3ヶ月前から本を買ってきて見よう見まねで作っており、 4月からOPENの予定で大分できている。HPの言語(ソース)は世界共通のもので、ワードの文章を作っている飼い主には最初は戸惑っが、今は慣れてき ており、テキストを見ることが少なくなってきている。

2001年
6月

 21世紀も半年を過ぎたが、あの正月の騒ぎがウソのような今日この頃である。今時は梅雨といって、雨が多い時であるが、今年はやけに 暑い。夏が来たと間違えてしまう。人間様と違って毛皮をまとっており、暑いからといって脱ぐわけにはいかない。風通しの良い涼しい場所 を探してごろ寝をている。
最近飼い主の部屋には、大きな骨が沢山ころがっている。
イルカ「吾輩3 イルカの骨格へ」の骨らしい。飼い主の話しでは渥美半島の伊良湖岬の近くの西の浜に打ち上げられていたもので、全長1.5mの全身の骨格で、下顎と 胸ビレ(手に相当)が無いがすべての骨が揃っており骨格にするらしい。 図書館や博物館から本を借りてきて調べていたが、 スナメリらしいと言っている。鯨やイルカは陸の哺乳類が海 に戻ったもので、その骨格は我々にかなり近い者である。 骨はバラバラになっており、復元するのは大変であるようだが、完成したらどのように なるか、見るのを楽している。

2001年
7月12日

 夏のような暑いが続いており、最近は寝苦しい。天気予報はまだ、梅雨は開けていないと言っているが、結果で判断するなら天気予報では無い、、、と思うこともある。  吾輩には全く分からないが、今日から参議院選挙が公示されたそうだ。 「小泉旋風」というのが吹いており、前首相の不人気から一転、就任から2ヶ月、支持率80%を誇っているそうだ。  小泉マガジンというのを出しており、200万人以上に配信されており、毎週木曜日にメールが届く。飼い主も申し込んでおり、メールを開いて熱心に読んでいるようだ。 前森首相は飼い主の故郷の隣の町の出身で、あの巨人の松井選手と同郷であり、飼い主の親と森首相の親は同窓で親交が深かったと飼い主は言っている。小泉さんの大人気は現状に対する 改革の期待であるが、TOPのイメージでこれだけ変わるとは驚きである。3年後、世の中がどう変わっているか。この目でしっかり見たいと思っている。

2001年
7月18日


先日の金曜日の夜、飼い主を見かけなかった。後で分かったことだが、会社の 囲碁大会とかで、 琵琶湖保養所に泊まりがけで行っていたらしい。飼い主は昔から「囲碁」 というものに趣味があり、時々会社の人の家に行ってたしなんでいるようだ。飼い主の言葉では、「碁」ほど面白いゲームは世の中に無い。。。化石採集は体を使うが、 囲碁は頭を使う、、、といっているが、化石採集も頭を使うと吾輩は思っている。飼い主の父親も碁好きで、宿直で(教員をしていたらしい)徹夜で打っていたそうだ。 飼い主の子供の頃は碁を打ちに行く父親について行っていたらしい。碁を始めたのは大学生の頃からだが、その後一向に上達せず、いまだに相手に何目も置いて打っているらしい. 碁のルールを全く知らない吾輩には何のことかさっぱり分からないが、白と黒の石を交互に打って、地面を 多くとった方が勝ち、、というゲームであることはおぼろげなりに認識している。  碁に興味のある方や、これから始めたい人は今からでも 遅くはないと飼い主が申している。吾輩もボケないように碁を覚えたいと思うが、教える才能が人間様になさそうなので、諦めることにした。

2001年
8月1日

  8月に入り熱帯夜が続いていて、寝苦しい。1週間ばかり飼い主を見かけなかった。どこに行ったか気になっていたが、3日位前に大きな鞄を引き下げて帰ってきた。どうもという所に会社の仕事で行ったきたらしい。 ヨーロッパには5回行って いるが、アメリカは初めてだそうだ。行ったのはニュヨーク周辺で、あのマンハッタン を 半日散策できたらしい。 世界 貿易センタービル近辺の近代的な中心街とダウンタウン(チャイナタウンなど)の下町、美術館などがあるセントラルパーク近辺など、アメリカの多様性、自由と秩序の共存などを短時間で垣間見ることができた。 憧れのアメリカ自然史博物館を見て次のような感想を持って いる。、、、さすが、世界一と言うだけあって、素晴らしいものだった。化石も日本で見れらないものがあり、古生物には限らない、動物の多様性、 世界の自然と生物(動物と植物と人間の共存)など、アメリカを中心とした世界の自然とその歴史がテーマようだ。吾輩の祖先の哺乳類の化石や現世の哺乳類の剥製や骨格が多数展示されていたそうで、アメリカの猫はどのようなものか、 見てみたい気もする。あのカルカロドン(絶滅した大形サメ)の歯が揃った大きな顎の化石と飼い主が写っている写真に目をとおしが、あまりの大きさに吾輩はびっくりした。、、、、

2001年
8月6日


  先週の日曜日(8/5)に吾輩の家に突然の訪問者があった。小さな犬を連れた見知らぬ人間が 吾輩の部屋(12畳位の居間だが、吾輩のすみかになっている)に入ってきた。 吾輩は驚いて「ニャーン、ニャーン!」と威したが、 犬も大声で「ワン、ワン!」と 吠えたので、また驚いた次第である。、、、その犬はメスの7歳で名前は 「ナナ」、吾輩と同い年だそうだ。訪問者は大阪に住んでいる飼い主の親戚で、 飼い主が大阪に居た 頃お世話になった人達で、前の日は西浦温泉に泊まり、豊川稲荷を参拝して、吾家に寄ったとの 事である。飼い主と吾輩達の話を含むよもやま話をしたり、吾輩のホームページを見たりして、部屋の隅に 縮こまっている吾輩を忘れて楽しんでいた。はじめての事で非常に驚いたが、昔の野生本能を目覚めさす出来事であった。

2001年
8月25日


  8月も終わりというのに今年の夏は本当に暑くて寝苦しい。涼しい秋が早く来るといいなあと思っている。 四季の変化は1年の歳月の経過を認識させてくれるので悪くは無い。 吾輩が金沢で生まれて、この夏で満6年である。4日前の火曜日に見覚えのある顔の人間が来て、吾輩に親し気に声をかけた。 すぐ思いだした。飼い主の長女であり、 吾輩を拾っ てくれた恩人である。大学生で今は東京にすんでおり、夏休みに帰省したのだそうだ。 前に来た時に吾輩と一緒に映した写真<が壁に貼ってあり、時々眺めている。 吾輩から見れば写真というものは不思議なもので、何故見たままに映し込めるか分からない。飼い主はカメラメーカーに勤めており、古いカメラを30台以上は持っている。 ほとんどが飼い主が勤めている会社のもので、あのSRT101、XD、α7000、ライツミノルタCL、など飼い主が手がけたものの他に中古品も集めていたらしい。今はデジカメの時代であり、 銀塩フィルムカメラが衰退したのも、時代の流れだと飼い主は言っている。 デジカメの普及もバカチョンから 高品質な1眼レフタイプに移行 している。引き延ばしてもその画質は銀塩 カメラにひけをとらないまでになっている。 写りが悪くても簡単に補正、修正できるのが強みである。  以上が飼い主が申していることです。。。。吾輩は機械はいじれないので、 もっぱらモデルになって飼い主に貢献しようと思っている。 吾輩もだんだん年をとっており、見栄えが悪くてなても(飼い主の腕前も?だが)飼い主 が適当に修正してくれるので安心である。。。。。

2001年
9月13日


  2001年9月11日は歴史的な日だそうだ! 飼い主や家族がテレビのニュース番組に釘ずけになっている。飼い主が話していることから吾輩なりに解釈すると、 アメリカのニューヨークのマンハッタン という所に ある世界一高いビル(世界貿易センタービル)に飛行機がぶつかり炎上し、崩壊したとのことである アラブの過激派のテロ行為だそうだ。吾輩猫族にはテロとはよく理解できないが、人間様にしかない野蛮な行動らしい。 確か飼い主は1ヶ月少し前にこのビルの屋上に登ったはずである。上記の8月1日の日記にも記載している。 展望台に登る観光客は1日数万人だそうで、航空機の突入があと2ー3時間でも遅れれば被害が倍増したと思われる。見学用エレベーター は屋上へ直通であり、ほとんどの人が倒壊までに脱出できなかったであろう。観光客は非常階段の存在も知らない。飼い主がエレベーターに乗る時にもテロ防止のため、空港並みのX線チェックが行 われていたそうだ。 まさか空からテロが来るとは誰も想像しなかったであろう。1ヶ月半前であれば、飼い主が被害にあったかもしれず、人ごとでは無いと言っている。あのビルが<1時間後に 簡単に崩壊したのにはさらにびっくりしたようだ。 地盤が固い、地震が無いマンハッタンのビルの構造にも問題があるようだ。 また、報復の戦争が始まるようだが、愚かな戦争はやめて欲しいと思っている。吾輩の親戚である野生動物も生きるための戦いをするが、決して無差別な 殺傷をする戦争で 無いことを付け加えておく。 
 被害者に黙祷!、、、、、、、、、、、

2001年
10月20日

  10月も半ばを過ぎ、秋らしい良い天気が続いている。夜明けが遅くなり、暗い内から目がさめて飼い主が起きてくるのを待っているこの頃である。最近飼い主は休みの日には見かけない。 後で分かったことだが、10月6日〜8日の連休は化石関連で北陸へ行ったそうだ。化石仲間と富山、石川、福井に化石採集に行き。金沢での「白峰恐竜調査」の懇親会に参画したようだ。 又、先週の13日〜15日に飼い主が12年前までいた大阪にいる会社の友人と富山から上高地という所に旅行してきたらしい。 この旅行は数年前から毎年行っており、一昨年は伊勢(鳥羽、賢島)、昨年は北陸(勝山、加賀、越前)に行き、今年は立山、乗鞍、上高地に行っている。大阪(堺市)時代の気楽な仲間で、 昔はゴルフなどによく行ったが、今は観光を兼ねた親睦の旅となっている。グループの名前は「トトローズ」と呼び、あの「となりのトトロ」をもじってつけたと飼い主は言っているが、 動きがトロトロしている吾輩には親近感がある名前である。トトローズの中には自称”旅行代理店”という人がいて、観光地巡り、うまいもの巡り、温泉巡りと盛り沢山である。 「花よりダンゴ」「露天風呂好き」「定年までの会社のうわさ話し」、、、と年寄りじみた(皆まだまだ気は若い)旅となってなっているようだ。 昨年は 冬の雪の北陸 でスキーと越前カニを楽しみ、 今年は秋の紅葉の 上高地で自然の醍醐味を満喫したとの事だ。 飼い主の家族は 10年前に信州、上高地を旅行しており、上高地は2回目である。初めて見た上高地の景観と 大正池からみた満天の星空は感動で的であり、忘れられないと言っている。 初めて見る物や遭遇する事柄はトキメキ感動を与えるが(時には失望も)、最近は出歩かないせ いか 、吾輩は感動するものに中々巡りあえない。吾輩も温泉めぐりもしてみたい気がするが、我家に いて、飼い主から色々な話しを聞くのが一番であると悟っている。。。。。

2001年
12月15日


 世間では師走と呼び、先生も走り回りほどの忙しい時であるが、吾輩の体調は良く無い。1月前からお腹がはって、食欲もあまりない。かかりつけの病院に3回ばかり連れていかれて診察を受け たが、内臓には問題はなく便が詰まって、ガスがたまっているらしい。あの事故より下半身が不随で、自分の意志で出せないが、動きまわることにより自然と排出していた。どうも 飼い主が吾輩 に与える食物(固形の人工食)が変わってからのようだ。医者が固まった便を出してくれたり、飼い主が水分の多い餌(缶詰め)を食べさせてくれるが、効果はない。吾輩が あの事故にあってから4年を過ぎたが、 自身で言うのもどうかと思うが、ここまで良く頑張れたと思っている。飼い主の世話があったからであり、感謝している。。。。。
 飼い主が 吾輩の祖先 についてようやく調べてくれたが、皆その時代の環境に適応して生き、その環境に 順応すべく進化した結果、吾輩のような現在のイエネコが繁栄しているらしい。飼い主は車に跳ねられて道路に倒れている吾輩に近い野生動物を沢山見ている。皆、道路を横断する時は車には気をつけよう!。
 この日記をつけてから1年が経過した。世間は不況の風が吹き、あのテロの報復としてアフガニスタンでは空爆が行われ、多くの人が死んでいる。来年は良い年でありますように。。。。。

「2002年の日記」

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