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吾輩の日記!(2008年) …天国からのメセージ
 吾輩が天国(こちら)へ来てから6回目の正月である2008年が明けた。今年は飼い主が東京に来て5年目である。休日の合間に東京近郊をウォーキングしたり、名所旧跡を訪れているようだが、江戸時代からの文化遺跡 や庭園、公園は至る所にあり、四季の折々の自然の変化は見飽きる事は無いようだ。昨年12月の初めに飼い主の父親が亡くなり、吾輩のいる天国で迎える事ができた。飼い主が住んでいる地球はだんだん暖かくなっており、 地球の温暖化は人間が出すCO2で加速されているらしい。昨年は飼い主が応援している大リーグの松井秀喜の成績はかんばしく無かった。足を治して来年はヤンキースがワールドチャンピオンになるために貢献して欲しい。 また今年は北京オリンピックの年だが、今回限りとなる野球はぜひ金メダルをとって欲しいと飼い主は思っているようだ。政治では一昨年小泉首相から安倍首相に変わったが、小泉さんに「まさか」と言わせた突然の辞任 で福田首相が誕生した。中国、韓国との関係が一層修復されるのは良い事だが、年金問題、防衛省問題など政治が混迷している。民主党が政権を取るチャンスが今度の衆議院選挙だと思うが、果たしてそうなるか? 今年は変化の年となるかも?

2008年
1月1日
(飼い主より)

 国立(くにたち)市で迎えた4回目の正月である。今年の元旦は天気が良く暖かい。家にいて外へ出なかった。朝起きたら日が登っていて、初日の出を見る事できなかった。天気の良い日はベランダから東京湾上の 朝日が良く見える。富士山は反対方向で残念ながら見えないが、立川駅から多摩ニュータウンに延びる多摩モノレールからは良く見える。今年もできる限り外へ出て、見聞を広めたいと思っている。
(写真は昨年の12月26日夜明けに撮影)

2008年
3月31日
(吾輩と飼い主
より)

  飼い主は3月末に長野県野尻湖のナウマン象の発掘に初めて参加したようだ。野尻湖では50年前から発掘活動を続けており、今年で17回目であり、その記録は本や 野尻湖のナウマン象博物館のHPなどに紹介されている。野尻湖は冬になれば下流のダムに放水し湖底の一部が現れる。  この冬休みの時期に発掘作業を行い全国から多数の人が集まる。今年の延参加予定者は650人だそうだ。飼い主はむさしの野尻湖友の会のメンバーで、事前に何回か学習会に参加している。 発掘の前半の5日間平日に参加したが、色々と体験したようだ。飼い主もナウマンゾウの骨片や当時使用したを道具の木片と思われるモノを見つけることができた言っている。前回までの発掘の研究結果ではこの場所は約4年前の 現在の人類の祖先であるホモサピエンスの狩場、解体場であり、発掘された ナウマンゾウやオオツノシカの骨や狩猟、解体道具などはその時の遺跡であるらしい。発掘は古墳の発掘と同じような、測量、記録を重視した時間を かけて発掘、調査方式で、化石を発掘している飼い主にはジレッタイもので、戸惑いはあり慣れるまでにすこし時間がかかったようだ。発掘前の準備作業も多くあり、前回埋め戻した土を掘りだし、運搬する前作業も体験するなど、 準備、後始末作業に時間を費やしている。飼い主には3月しかできない野尻湖の湖底発掘の良し、悪しが、分かったようだ。
 ナウマンゾウやオオツノジカなどの野生動物は吾輩に近い哺乳類だが、数千年前までは飼い主の祖先である人類の狩の主要動物であった。シベリアなど野氷河期に1万年前までいたマンモスが滅亡したが、環境の変動のせいか 狩りでの乱獲の結果かは知らないが、この時代は生きるための人類と野生動物の死闘が通常であったことは吾輩にも容易に想像がつく。そのために人類は狩や解体するための道具を考え、作ったはずである。 この証拠となるナウマンゾウの骨片やその側近で手を加えた石片や木片の道具遺物を発見するのが野尻湖発掘の主目的の一つでであり、近日中に東京で今回の発掘の結果の概要報告会があるので、飼い主は参加するらしい。 発掘の様子を 野尻湖発掘 に一部を記載しています。

2008年
5月15日
(吾輩と飼い主
より)

飼い主は4月23日から27日にかけて、台湾という所にいったようである。以下に飼い主から聞いた旅の概要と所感を記す。ダイジェスト写真は 台湾 に記載しています。また台湾の詳細は台湾(Wikipedia) に紹介されています。 台湾は日本の最南端の沖縄からさらに南にあり、暖かいと思っていたが、ほとんどが曇りで肌寒かった。日本の九州とほぼ同じ大きさで、中央には富士山より高い山脈があり、周りを道路や鉄道が周回している。 西側(中国側)は日本の表日本、東側(大平洋側)は裏日本のようで、最近新幹線が西側の北端の台北から南端の高雄まで開通した。今回の旅は「台湾7都市大周遊」という5日間のパックで、比較的格安である。 日本でこれだけ回れば、2倍はかかるだろう。成田空港から台北に入り、観光バスで台北、台中、台南、高雄、台東、花連と回り、花連から九フンの近くの駅まで列車で行き、九フン、台北と台湾をほぼ一周するものであった。 日本で言えば台北は東京、 台中は鎌倉、台南は京都、高雄は川崎、横浜、台東は能登半島などの漁村、花連は大岩が林立する黒部渓谷、九フンは佐渡旧金鉱山とイメージされる。 先の他に別荘地で昔の新婚旅行のメッカであった日月潭の寺院、東海岸の景勝地、 花連の民族舞踊など見学した。花連の50Km程、山に入った太タイロ渓谷には世界有数の大理石の産地で大理石の一枚岩は圧巻である。 また途中の大理石を侵食した渓谷美 は素晴らしい。 全体的に台湾には日本の統治時代の名残りを多く残しており、古い学校の名前や、 日本人が作ったダム、貯水池などにみられる。市内には日本のコンビニがやたらに多い。今回の旅で台湾の生活や、風土、歴史をほぼ理解できたが、各都市ともダイジェストであり、 最後の台北も行天宮と故宮を短い時間で観ただけであり、もう一度じっくり台北を観てみたいと思う。

2008年
7月31日
(吾輩と飼い主
より)

飼い主は5月25日から30日にかけて、中国の蘭州という所にいったようである。以下に飼い主から聞いた旅の概要と所感を記す。買い主が入会している東海化化石研究会の主催で毎年中国ツアーが開催されている。  2年前には内モンゴル自治区に行ったことがあり、今回は2回目である。全身30m以上の恐竜発掘中の現場を見学したのは初めてであり、非常に興味深いものであった。 白亜紀前期の草食恐竜で、その歯と別の肉食恐竜の歯も見る事ができた。発掘現場は2500mの高地で、空気が薄く発掘現場の山頂までは息をきらして登った。蘭州市は1600m高地でシルクロードのスタート地である西安の次の要点である。 蘭州市には立派な甘粛省博物館もあり、展示品や化石等を見学した。旅の写真は 中国甘粛省蘭州 に一部を記載しています。 また蘭州の詳細は蘭州(Wikipedia) に紹介されています。



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